新がつく駅地図手帖

上新庄駅


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▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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上新庄かみしんじょう大阪府
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廃止
1928年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

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阪急電鉄京都本線(京都線)(HK)普通鉄道
大阪市高速電気軌道(Osaka Metro)[直通]堺筋線(K)地下鉄

▼備考 

駅番号HK-64。阪急京都線の高架駅。ホームは南北に長く、道路を跨いでいる。下新庄駅と同じく、大阪メトロ堺筋線が直通して来る。 阪急京都線は、大阪府の十三駅(じゅうそうえき)と、京都府の京都河原町駅を結ぶ路線。多くの列車は、十三駅から先の大阪梅田駅まで乗り入れる(途中の中津駅はホームが無く、通過)。同じく京都と大阪を結ぶ京阪本線JR京都線などと競合している。途中、淡路駅(南西の方)では、阪急千里線と平面交差する(将来、この平面交差は解消される予定)。堺筋線の直通は、この千里線・淡路駅経由でやって来る。また、桂駅からは、嵐山線も分岐する。 阪急京都線は元々、京阪電車が設立した「新京阪鉄道」の作った路線だった。新京阪鉄道はまず、1925~1928年にかけて天神橋駅(後述)~京都西院駅(現・西院駅)間を開通させたが、京都側が西院(さいいん)という中途半端な場所だったのは、1928年に京都で行われた昭和天皇の即位によるご大典に間に合わすために急いで建設されたため。西院以東の区間は、山陰本線との平面交差問題など、線路を通すには一筋縄ではいかなかったため、間に合わなかった。その後1930年には京阪電車の「新京阪線」となり、1931年には西院以東も地下区間で大宮駅まで開通。この地下区間は、関西初の地下鉄道でもあった。しかし1943年になると、戦時統合によって京阪と阪急が合併し、京阪神急行電鉄という1つの会社になった。こうして京阪本線と新京阪線は同じ鉄道会社に属する事になったが、その間、新京阪線は既存の阪急の路線網(神戸・宝塚方面等)との結び付きが強くなっていたため、京阪の分離独立(1949年)後も阪急の路線として残る事になり、その時に「京都線」と名を変えた。つまり、今競合関係にある阪急京都線と京阪本線は、元々は両方とも京阪が作ったものだったが、京都線の方は京阪の手元に還って来なかった事になる。ただ、一大企業となった阪急の経営に支えられた京都線は、その後大きな発展を遂げている。また、戦後の1963年には、長らく大宮駅止まりだった地下区間が河原町駅(現・京都河原町駅)まで延伸されている。 ちなみに、新京阪線の起点は天神橋駅という高架駅だったが、そこは今、阪急千里線・大阪メトロ堺筋線の天神橋筋六丁目駅という地下駅に生まれ変わっている。旧天神橋駅ビルは2010年まで残っていたが、その年に解体され、今は再開発でタワマン(ジオタワー天六)が建っている。その付近には、日本最長のアーケード商店街天神橋筋商店街もある。 ところで、阪急京都線は、途中の上牧(かんまき)~大山崎駅間で東海道新幹線と並走する。そこは、東海道新幹線の高架建設と併せて高架化された区間だという。1963年に、東海道新幹線の高架の方が先に完成したので、阪急京都線の高架が完成するまでの数ヶ月間、阪急京都線の列車が東海道新幹線の高架を走ったことがある。つまり、世界で初めて新幹線の線路を走ったことがある営業列車は、阪急京都線だという。たまたま軌間が新幹線と同じ1435mmだからこそできたことでもあった。 新幹線計画の前身にあたる、戦前の弾丸列車のために掘られた日本坂トンネル(静岡県)は、弾丸列車計画頓挫後、東海道本線が転用し、今は東海道新幹線が走っている。これは阪急の例よりも早かったが、レールの幅は違うし、そもそも転用当時、新幹線が後に走るとは決まってなかったので、これは除外してある。この東海道本線については、旧石部トンネルなども調べると面白い。

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