新浜大津駅(旧称・廃駅)
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▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新浜大津(旧称・廃駅) | しんはまおおつ | 浜大津(旧称) | 滋賀県 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止*廃止年クリックで、 同年廃止の駅を検索 |
1925年 | 1969年 |
▼この駅を走っていた路線
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| 江若鉄道 | 江若鉄道線× | 普通鉄道 |
▼備考
元々ここには、官設鉄道(後の国鉄、現・東海道本線など)の初代「大津駅」があった。
まず1872年に新橋~横浜(現・桜木町)間が開通したのが官設鉄道の始まりだが、これは後に大阪~東京間を結ぶ一大幹線の計画へと発展。この幹線は当初、中山道幹線として明治時代に建設が始まった。長大路線の為、大事な部分から優先的に着工され、徐々に線路を繋げていった。東京側は、高崎経由で線路を西へ伸ばす計画となった。大阪側では、早くも1874年に神戸~大阪間、1877年には大阪~京都間が開通し、西から東へと線路が伸びていった。西から伸びてきた線路は1880年に遂に旧・逢坂山隧道を越え、ここにある大津駅へと線路が到達した。勾配の関係で、西からやって来た線路はまず大津市街地よりもかなり南東へ外れた馬場駅(現・膳所駅)まで通り過ぎてから、馬場駅でスイッチバックして北西へ向きを変え、ここにある大津駅へと進んだ。当初線路はここで行き止まりで、馬場駅から東も未開通だった為、大津駅まで来た客はここで、太湖汽船が運営する鉄道連絡船に乗り換え、琵琶湖の対岸の長浜駅まで船で渡った。1884年には長浜駅から春照(すいじょう)~関ヶ原~大垣へと抜けられるようになり、東海道線の一部を成した(元々中山道・高崎経由で線路を敷く予定だった為、線路は中山道上の関ヶ原に通されたが、後に中山道経由は山が険しく建設が困難と発覚し、残りは今のような美濃路・東海道経由のルートに変更されて建設が進められた)。
しかし、1889年になると、長浜を通らない馬場~米原~関ヶ原間の線路(ほぼ現ルート)が開通し、この鉄道連絡船は役目を終えた。この時、馬場駅から東へ線路が抜けたお陰でスイッチバックが不要になった為、馬場駅が2代目の「大津駅」へと昇格し、ここにあった初代大津駅は貨物のみの駅に降格。馬場~初代大津間は支線となった。
この支線は後に国鉄の「大津線」として旅客営業が復活するも、1913年にこの線路が大津電車軌道(現・石山坂本線)の線路として転用されると、国鉄としては再び貨物線に降格した(その後もこの支線は三線軌条でひっそりと国鉄の貨物線としても共有される)。ここにあった初代大津駅は、元々国鉄駅だったものの大津電車軌道の駅と化し、同年(1913年)中には「浜大津駅」へと改称された。大津電車軌道は後に太湖汽船と合併して「琵琶湖鉄道汽船」となった後、京阪電気鉄道に合併。
一方、1921年に東海道線が現・大津駅(3代目)や東山トンネル経由の新線へ切り替わると、2代目大津駅は「馬場駅」へと名を戻し、後に「膳所駅」(ぜぜえき)となった。
1925年になると、元々三井寺(みいでら)以北に線路を持っていた江若鉄道がここまで線路を伸ばし、江若鉄道の新たな起点駅として当駅(新浜大津駅)を開業させた。同時に、京津線(けいしんせん)の線路も浜大津駅へと伸び、ここに各線が集結した。当駅からは後に「新」が抜かれ、元からあった「浜大津駅」と同名になった(改称時期不明)。その後1947年には、元々ここから膳所駅まで通じていた石山坂本線の線路へと江若鉄道が直通するようになり、江若鉄道は膳所駅発着となった。これが江若鉄道の全盛期だった。
しかし、1965年にはこの直通も終わり、江若鉄道は再び当駅発着へと縮む。1969年には遂に江若鉄道自体が廃止され、江若鉄道の浜大津駅(当駅)も廃止。この時、浜大津支線という貨物線としてひっそり続いていた国鉄の膳所~当駅間も廃止された。以降、浜大津駅は京阪電気鉄道のみの駅となった。
元々京津線は、京都方から北上して来ると西へ逸れ、現・明日都浜大津の建つ辺りに行き止まり式(頭端式)ホームを持っていた。つまり、石山坂本線のホームとは別々だった。しかし、それだと乗り換えや直通上不便な為、時代が進んで1981年になると、京津線・石山坂本線(併せて「京阪大津線」)のホームが現在の位置に統合され、京津線が東へ逸れる今の配線へと切り替わった。かつての江若鉄道ホーム(当駅)は石山坂本線ホーム北隣の鉄道専用敷地内を走るものだったが、その敷地跡を使って、今の浜大津駅舎・ホームが建てられた。石山坂本線の三井寺駅(西の方)のすぐ北には緩やかにカーブした細い遊歩道があるが、これが江若鉄道の廃線跡。
※京津線はここから山科へ行き、その先の京都市営地下鉄東西線へ直通する。まず路面(併用軌道)を走った後にきつい急勾配・急カーブを越えて山越えし、挙句地下鉄にまで直通という凄い走り方が人気。路面と地下鉄を直通する唯一の路線と言われる。地下鉄開通前は三条駅まで地上・路面を走り、京阪本線へ乗り換えできた。
※浜大津駅は長らくその名だったが、琵琶湖観光の玄関口をPRする為、2018年3月17日に「びわ湖浜大津駅」に改称された。同時に坂本駅も「坂本比叡山口駅」に改称、更に他2駅も改称された。 ▼関連写真