新栄町駅(福岡県)
最終更新: 2024/07/05
▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新栄町 | しんさかえまち | 栄町(旧称) | 福岡県 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止 |
1970年 | - - - - 年 |
▼この駅を走る路線
▼備考
駅番号T49の、西鉄天神大牟田線の駅。平行する鹿児島本線のホームは無い。天神大牟田線の終点、大牟田駅は、当駅のすぐ南隣。当駅からは、天神大牟田線から西鉄甘木線へ直通する列車も多い。
新抜き駅は、当駅の旧称。当駅は元々、「新」の付かない「栄町駅」として今より260m大牟田寄り(南側)の場所に開業したが、ホームが短かったため、ホームを延長し、駅ビルも併設した大きな駅へと生まれ変わる事になり、1970年にここへ移転して来た。この時、「新」が付いた。1960年代の航空写真には、「栄町駅」時代の当駅が写っている(付近を東西に伸びる貨物専用線の橋の下辺りにあった)。
天神大牟田線は、福岡市内の西鉄福岡(天神)駅と大牟田駅をはるばる南北に結ぶ、西鉄の本線に相当する中心的な路線。2001年までは単に「大牟田線」という路線名だったため、現地では今でも「大牟田線」と呼ばれる事が多いという。起点の「西鉄福岡(天神)駅」は正式駅名に括弧を含んでいるが、2001年以前は単に「西鉄福岡駅」と言った。全体的に鹿児島本線と並走しているため両路線はライバルでもあるが、鹿児島本線は戦後の1960年代に入るまで長い間非電化だったのに対し、現・天神大牟田線(1924年の開通時は九州鉄道、後に大牟田線)は開通当初から既に電化されていた。また、福岡市側の駅が福岡天神にある西鉄に対し、鹿児島本線は那珂川や中洲を挟んだ向かいの博多駅のため、棲み分けできている面もある。久留米駅と西鉄久留米駅も違う場所にあり、同じ1つの駅に鹿児島本線と天神大牟田線が両方やって来るのは、南端の大牟田駅だけ。大牟田線は元々は九州鉄道の路線だったが、1942年に九州電気軌道に合併され、同年に現社名となり、西鉄の路線となった。2024年には、天神大牟田線の高架化区間に桜並木駅が新設された。
※西日本鉄道(にしにっぽんてつどう)は、九州唯一の大手私鉄で、略して西鉄と呼ばれる事が多い。JR西日本(じぇいあーるにしにほん)と名前が似ているが、本州で鉄道を運営するJR西日本とは、全く関係ない。西鉄は鉄道よりもバス事業の方が大きく、バスの保有台数が日本最多を誇る日本最大のバス会社だという(2番目は神奈中)。そのため、鉄道会社というよりもバス会社としてのイメージを持っている人も多い。西鉄では、2017年2月から駅番号(駅ナンバリング)が導入された。
※「博多」と「福岡」の都市名は混同されやすいが、江戸時代には両都市は区別されていた。主に那珂川を境に東側が商人の町「博多」、西側が武士の町「福岡」とされた。博多側の歴史は古く、古代から中国・朝鮮などとの貿易で商人が集まって都市が出来ていたが、福岡という名前の都市は元々無かった。後の江戸時代に他所から来た黒田氏が那珂川の対岸に福岡城とその城下町を作り、これが福岡となった。黒田氏は、一族のゆかりの地だった備前国(現・岡山県)の福岡から取って、城下町を命名した。明治時代になるとこの両都市は統合され、市制施行もされたが、この時市名を「博多市」と「福岡市」のどちらにするかで揉めに揉め、妥協案として市名を「福岡市」とする代わりに、鉄道駅名の方を「博多駅」とする事で決着が着いたという(この時の博多駅は、今よりも西にあった)。一方、かつては武士の町だった福岡は、武士の世が終わると徐々に繁華街化していき、今ではその中に九州最大の繁華街である「天神」という地区が生まれている。西鉄福岡(天神)駅は、天神地区の中心にある。そして、かつては商人の町だった博多は、新幹線の開業もあって、今はビジネス街になっている。「博多」という名前は駅名としては残ったものの、地名としては明治時代の市名決定時に一度無くなっていた。しかし、福岡市が1972年に政令指定都市となった時に「博多区」が生まれたため、今は地名としても復活している。
※当駅横を通過する鹿児島本線からは、当駅付近で東へ、貨物支線の三井化学専用線が伸びていたが、2020年5月に遂に廃止されてしまった。三井化学専用線は、歴史を遡ると遥か明治に三池炭鉱専用鉄道(三池鉄道)として始まり、2020年の廃止時まで国内最古の電気機関車が現役で走る貴重な路線として知られていた。地元では炭鉱電車の通称で親しまれた。前述の「付近を東西に伸びる貨物専用線」も三池鉄道の線路(三池本線)で、1997年まで海沿いの埋立地の火力発電所へ石炭を運んでいた。
※愛知県にも当駅と同じ名前の駅がある。 ▼関連写真