▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
座間新戸(旧称) | ざましんど | 神奈川県 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止 |
1931年 | - - - - 年 |
▼この駅を走る路線
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JR東日本 | ■相模線 | 普通鉄道 |
▼かつてこの駅を走っていた路線
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小田急電鉄 | 小田急砂利軌道(新磯軌道)× | 貨物 | |
相模鉄道 | 相模川砂利運搬専用線(正式名不明)× | 貨物 |
▼備考
▼関連写真
相武台下駅に停車中の、相模線の橋本行き。水色っぽいラインが入る。近くの相模川の流れをイメージした色らしい。【撮影日:2018/04/10】 相模線は神奈川県最後の非電化旅客路線だったが、1991年に遂に電化され、神奈川県の旅客列車は全て「電車」になった。この車両はその時登場したもので、205系500番台という。205系の中でも、500番台は相模線用に特別に設計されたもので、他の205系とは作りが大きく違う。例えば、相模線のイメージを新しくするために顔のデザインが刷新。また、相模線は踏切が多いので、衝突事故対策のために初めからスカート(連結器の下に付ける部品)が付いている。他の205系のスカートは後付け。2017年末には、電球だったライトがLEDに付け替えられた。 ※追記:この車両もそろそろ登場から約30年経ち、遂に相模線にも新型車両が導入された(PDF)。新型車両は既に房総エリアで導入実績のあるE131系の相模線バージョンで、2021年11月から2022年3月にかけて徐々に導入された。そして、2022年3月12日には遂にE131系への世代交代が完了し、写真の205系は引退してしまった。E131系はワンマン運転対応で、同時に相模線の運行のワンマン化も行われた。
当駅に到着するところ。相模線は単線で、駅に着くと線路が二手に分岐した後、西へ更に1本、側線が分岐。1面2線の島式ホームが1つ。 相模線は単線なので、途中で電車がすれ違える(列車交換できる)ように、駅では上下線分の線路に分かれる。上りは茅ケ崎・海老名方面(南)、下りが橋本方面(北)。この写真は橋本向き。【撮影日:2018/04/10】 ※側線は、砂利専用線の名残? 当駅の西(写真左)には若干敷地が空いており、そこに砂利運搬の貨車が停まっていたのかもしれない。
ホームから、相武台下駅舎を眺める。ホームからは、駅舎への跨線橋が1つ伸びている。ただ、跨線橋は階段のみで、エレベーターなどは見当たらない【撮影日:2018/04/10】
相武台下駅の跨線橋から、南を眺める。ホームがよく見える。遠くに見える大きなビルは、海老名のリコーテクノロジーセンターか。相模線に並ぶように続いている送電線は、東京電力相模川線。ここは相模原市のほぼ南端で、あの送電鉄塔の建ってる場所はもう、座間市。地平線の方は、海老名市。【撮影日:2018/04/10】
西側、相模川方向を眺める。田んぼが広がる。付近は河岸段丘が顕著で、その平らな部分が田んぼになっている。向こうには丹沢山地が見える。山の形をGoogle Earthで照合してみると、一番高く尖って見えるのは、大山(おおやま)と思われる。当駅は田んぼ側には出入口が無いため、田んぼ側の人が当駅を使うには、遠回りすることになる。東側(逆)の出入口前には街が広がるけど、こっちは田舎。ここは都会と田舎の境目のよう。【撮影日:2018/04/10】 ところで、東側の米軍や自衛隊基地は、ここより一段高い段丘にある。上図の航空写真でも、河岸段丘がよく分かる(段の境目の崖が森になってるので線状に森が分布して見える)。
北側、橋本方面を眺める。ちょうど、すれ違いの茅ケ崎行きが到着するところだった。単線だから、さっきまで乗っていた橋本行きは、すれ違いのためしばらく停まっていた。 ところで、この写真左下に、側線の行き止まりが見える。昔はそこからもっと線路が北へ伸びていて、真ん中ちょい左の三角屋根の白い家の前を、例の砂利専用線が通っていた(あの家は当時無かったと思うけど)。【撮影日:2018/04/10】 ところで、この写真の真ん中左の地平線に4つほど四角いものが建つのが見えて、あれは何かのビルかと思ったら、下溝駅辺りの線路の真上に建つ門形送電鉄塔群だった。東京電力相模川線のもので、当駅(相武台下)周辺からあそこまで送電線が伸びる。
相武台下駅舎。これまでの木造駅舎は老朽化したので、2016年に今の新しい駅舎に建て替えられ、リニューアルされた。入口の駅名の所に花壇があるの好き。よく見ると、改札口の所は壁がなく、屋根のみ。 手前には、「相武台下駅」バス停がある。画質が足りないが、バス停看板の上の丸いところに「神奈中」(かなちゅう)と書いてある。神奈川中央交通の略で、地元ではその名で親しまれているらしい。神奈中は、単独のバス会社としては、バスの保有台数が日本最多の巨大バス会社だという(グループ会社も含めると、西鉄グループが最多)。【撮影日:2018/04/10】
駅前のようす。田んぼの広がる反対側と打って変わって、街になっている。ロータリーというか、舗装された広場が広がる。春でのどか【撮影日:2018/04/10】
ところで、相模線の厚木駅の隣には、相鉄の車両が停まっている場所があった。相鉄の厚木操車場というらしく、普段は旅客が入れない。厚木操車場まで、相鉄厚木線という線路が、この相模線に並ぶように走っている。ここは元々、神中鉄道(現・相鉄本線)の終点だったが、その後貨物専用になり、米軍基地への燃料や相模川の砂利を運ぶのに使われた。相武台下もそうだが、昔は如何に砂利採取が盛んだったか分かる。1964年に相模川の砂利採取が法律で禁止されてから、砂利運搬線は姿を消した。 そして、相模線は元々相鉄で、神中鉄道は現・相鉄本線。この写真の場所は、相鉄の新旧路線が接している印象的な場所。今の厚木操車場は、相鉄の使われていない車両(休車)や回送列車が置かれていたりする。【撮影日:2018/04/10】 ※写真手前はJR相模線厚木駅の旧ホームで、実は使われていない。2007年まで使われた旧ホームだが、未だに残っている。まだ現役そうなオーラが漂っているため、初めて厚木駅に来た人を混乱させている。 ※この厚木駅は海老名市にあり、相模川の対岸が厚木市。厚木の本当の玄関口は小田急の本厚木駅。そのため、厚木駅は地元では「偽厚木」とか「嘘厚木」と呼ばれているという。元は、厚木まで線路を伸ばそうとした神中鉄道が横浜方面からここまで線路を伸ばして来たが、資金不足で相模川を渡る橋を架けられず、やむなく相模川手前のここに、終点として厚木駅を作ったのが始まりだという。 それにしても、厚木は何故か「偽厚木」な存在を2つも作られてしまっていて、不思議。片方はこの厚木駅だが、「厚木」を名乗る偽物はもう1つある。それは、米軍や自衛隊の厚木基地。厚木駅はまだ川を1本挟んだだけで近い方だし、由来もはっきりしているが、厚木基地に至っては綾瀬市・大和市にあり、厚木市にかすってもいない。しかも、なぜ基地名が「厚木」となったのかすら、未だに不明だという。
終点の橋本駅に到着し、折り返し茅ケ崎行きとなった電車(右。撮影は橋本駅)。JR東日本的には「ケ」の大きい「茅ケ崎」の表記を正式採用しているが、昔は表記統一の徹底が緩かったのか、古い設備を中心に小さい「ヶ」の表示もよく見られる。この電車の方向幕も、小さい表記ものがそのまま使われていた。ただ、最近は表記統一が徹底されてきているようで、新しい設備にはほぼ必ず大きい方が載っている。【撮影日:2018/04/10】
橋本駅にて、相模線の線路の終わり。右には、横浜線のホームが見える。相模線の線路は、この後横浜線に合流する。この写真の撮影当時、相模線には朝晩のみこの横浜線の線路に直通する八王子行きの電車が存在した。※この直通は、2022年3月に廃止されてしまった。 写真真ん中は、橋本駅前のタワーマンション。周辺は近年発展し、ビルが増えている。また、将来リニア中央新幹線の神奈川県駅が橋本に出来るので、更に賑わうかもしれない。写真左は、京王相模原線の高架駅舎。 個人的には 橋本は多分ねこぼーろのふるさとの近くだから、それだけでこの町が好きになった。哀傷歌コンテキストには相模線が、弾けないギターを片手にには橋本のビルが遠くに映ってたりするから…【撮影日:2018/04/10】
ところで、相模線の車両のドアには押しボタンがある(ドアボタン)。ドアの右に、小さいボタンがある。車内の空調の温度維持などのため、普段はドアを閉めておき、乗客が出入りする時に自分でボタンを押して開ける。このシステムは半自動扉といって日本中の路線にある。都市部では、乗降が激しくいちいちドアを閉めていられないからか、あまり見ない。中央線快速のドアにもボタンがあるが、あれは大月など田舎の区間に入ってから使われる。また、寒冷地では暖房が命のため、都市部でもドアボタンが使われる(北海道や東北など)。※撮影は茅ケ崎駅【撮影日:2018/04/10】 ※ボタンの機能が無く、手で開け閉めしてもらうタイプの半自動扉もある。停車時に全てのドアを開けない点で両者とも半自動扉の一種だが、手で開け閉めするものを手動式半自動とも言う。