新がつく駅地図手帖

畑新田駅(廃駅)


最終更新: 2023/08/11

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
立地*立地名クリックで、
その立地を検索
畑新田(廃駅)はたしんでん三重県
開業*開業年クリックで、
同年開業の駅を検索
廃止*廃止年クリックで、
同年廃止の駅を検索
1914年1969年

▼この駅を走っていた路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
その会社を検索
路線*路線名クリックで、
その路線を検索
種別*種別名クリックで、
その種別を検索
近畿日本鉄道北勢線軽便鉄道

▼備考 

当駅は当初、北勢鉄道(ほくせいてつどう)の駅として1914年に開業。北勢鉄道は後に電化を果たし(1931年)、1934年にはそれを社名に反映させて「北勢電気鉄道」となった。 更に、1944年2月には三重交通(みえこうつう)の駅となり、同年3月には「北勢線」の路線名も決まった。当時は戦時中であり、三重交通は戦時統合で生まれた会社の1つだった。三重県内の交通会社をまとめる為、1944年に神都交通(伊勢の路面電車)・松阪電気鉄道・北勢電気鉄道・三重鉄道(現・四日市あすなろう鉄道)・志摩電気鉄道(現・近鉄志摩線)・その他バス会社等を一気に合併させて生まれた。 しかし当駅は、電力が足りなくなった等の理由で、三重交通になったばかりの同年(1944年)7月に休止。一方、路線は当駅休止後も存続した。ただ、終戦後も当駅が営業再開する事は無く、休止状態が続いた。戦後の1964年になると、三重交通から鉄道部門が分社化され、北勢線は「三重電気鉄道」の路線となった。更に、すぐ翌年(1965年)には三重電気鉄道が近鉄に合併され、近鉄北勢線となった。しかしそれでも当駅は復旧せず、遂に1969年に廃止、廃駅となった。当駅は休止時には既にホームが撤去され姿を消していた為、戦後の当駅は書類上生きているに過ぎなかった。ところで、三重交通の会社自体は今もバス会社として存続している。 当駅は書類上は近鉄になるまでずっと休止駅として存続していた為、データ上は近鉄北勢線の駅として登録しているが、実質最後に当駅に列車が停車したのは、三重交通時代となる。今昔マップ(敬称略)に収録の1932年の地図には、当駅の記号が描かれている。当時の当駅は員弁郡(いなべぐん)大泉原村(おおいずみはらむら)にあり、当駅のすぐ北には大泉原村役場があった事も分かる。大泉原村は後に、1941年の合併で「員弁町」(いなべちょう)の一部、2003年の更なる合併(平成の大合併)では「いなべ市」の一部になっている。現在の市名は、難読な「員弁」を平仮名にしたもの。また、うんと後の1968~1973年の地図にも未だに当駅の記号が描かれており、これは当駅がまだ書類上生きていた頃の地図と思われる。 ※当駅は踏切を渡る道路の脇にあったと思われるが、Wikipediaはどうやら、当駅の位置を道路の南側としている。しかし、上記のいずれの地図でも当駅は道路の北側に描かれており、当サイトでは地図的証拠のある北側の位置を採用している。 ちなみに、その後も北勢線は近鉄の路線として長らく続いたが、2000年になると経営難を理由に廃線が議論され始め、その後2003年に近鉄から分離、三岐鉄道という別会社による存続が決まった。現在も三岐鉄道北勢線として運営されている。三岐鉄道の会社は本来、後述の「三岐線」という別の路線を運営する会社として発足したもの。 三岐鉄道北勢線は現在、西桑名駅~阿下喜駅(あげきえき)間を結んでいる。かつては西桑名駅から更に東へ1駅分長く、桑名京橋駅へと伸びていたが、途中の国道1号との踏切での渋滞を理由に1961年に廃線。起点の西桑名駅は桑名駅の東隣にあるが、西と名乗っているのは、名乗った当時の立地が西桑名町という町だった為という。西桑名町と、より海沿いの桑名町が合併して桑名市になった後も、旧町名が駅名に残っている。 また、北勢線のレール幅(軌間)は762mmと狭く、車体も小型で、今では珍しい。西桑名駅/桑名駅周辺では、近鉄名古屋線の1435mm(標準軌)のレール、JR関西本線の1067mmのレール、北勢線の762mmのレールが並走していて、駅すぐ南の踏切は3種類の軌間(ゲージ)を渡る事ができる唯一の踏切として知られる。 ※「北勢」は伊勢国の北部という意味で、北勢線の終点の阿下喜駅の立地が「北勢町」を名乗った時代もある。北勢町も現在はいなべ市の一部。 ※北勢線の南側一帯には員弁川(いなべがわ)という川が流れているが、その対岸には、北勢線と似たようなルートを走る三岐線(さんぎせん)という路線もある。いずれも、近鉄・関西本線沿線といなべ市を結んでいる。厳密には、北勢線は桑名の街と旧・北勢町(ほくせいちょう)を結ぶのに対し、三岐線は富田(とみだ)の街と旧・藤原町(ふじわらちょう)の西藤原駅を結ぶ。ただ、いずれの起点の街においても旅客は関西本線よりも近鉄の方が栄えており、関西本線は貨物列車のウエイトが大きい。その為か、元々は関西本線の富田駅を起点とし、近鉄富田駅とは繋がっていなかった三岐線に、後から近鉄富田駅方面の線路(近鉄連絡線)が追加され(1970年)、三岐線の旅客列車は近鉄富田駅発着になっている(富田駅方面は貨物専用)。三岐線は私鉄としては珍しく現代でも貨物列車を運行し、沿線の藤原岳で採れるセメントを運んでいる。また、北勢線は762mmのミニサイズなのに対し、三岐線は1067mmと通常のサイズとなっている。三岐線は元々は岐阜県の関ヶ原まで開通させる計画で、社名にも含まれる「三岐」には「重県と阜県を結ぶ」という意味合いがあった。

▼関連写真 

 まだこの駅には関連写真がありません。
写真を追加 / ギャラリー