新青森駅
最終更新: 2023/07/03
▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新青森 | しんあおもり | 青森 | 青森県 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止 |
1986年 | - - - - 年 |
▼この駅を走る路線
▼備考
この駅は、東北新幹線の延伸開業を見越して1986年に開業(奥羽本線の津軽新城駅~青森駅間)。実際の延伸開業(八戸~当駅間)は2010年で、その年に新駅舎になった。2016年には北海道新幹線の当駅~(新中小国信号場~湯の里知内信号場)~新函館北斗駅間が開業し、ここは東北新幹線との境目になった。両新幹線は、当駅を境に相互直通運転もされている。
在来線の当駅~青森駅間には、乗車券や青春18きっぷのみで特急の普通車自由席に乗れるという特例もある。これは、新幹線駅から青森市街地へのシャトル輸送のためで、たった1駅のために特急料金をわざわざ払わなくてもいいようにと設けられた。
ちなみに、新抜き駅の青森駅は、青い森鉄道線が合流し、スイッチバックのような線路の形になっている。これは、まだ青函トンネルが無かった頃(1988年以前)、青森駅から青函連絡船が出ていた名残。貨物/荷物列車や郵便車(後述)・寝台列車などは青森駅を北に出ると船へ直接乗り込み、鉄道車両を乗せた船が函館まで航行していた。これは狭義の鉄道連絡船で、船の中にレールがあった。一方、貨物や寝台以外の一般客は青森駅のホームで一旦降り、専用の乗り換え階段・渡り廊下で船へ乗り換えていた。青函連絡船は、1954年の洞爺丸事故を機に廃止・トンネルへの移行が検討され、青函トンネル構想の具体化に繋がった。青函連絡船は青函トンネルが開通すると実際に廃止。今は、当時の青函連絡船の1つである八甲田丸が、青函連絡船の発着所だった場所(青森駅の北東)に保存・公開されている。
また、奥羽本線貨物支線はスイッチバックの南側を東西に走り、デルタ線を形成している(青森信号場の方向へ向かう)。※青森信号場は昔、青森操車場という大きなものだったが、1986年に信号場に降格した後、敷地も大幅に削られ、その跡地は青い森セントラルパークなどとして再開発されている。そこに青森中央駅(仮称)を新設する構想もある。
※当駅から南へ2kmほどの場所には、三内丸山遺跡や青森県立美術館もある。
※国鉄はかつて郵便物の輸送も担っていたが、1986年に郵便事業から撤退している。国鉄の郵便車は、今となっては貴重。
※当駅の奥羽本線では長らくSuicaが使えなかったが、2023年5月27日以降、弘前~津軽新城~当駅~青森間という広い範囲で遂にSuicaが解禁(PDF)された。 ▼関連写真