新七重浜駅(廃駅)
最終更新: 2025/11/14
▼この駅について
| 駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
| 新七重浜(廃駅) | しんななえはま | 七重浜 | 北海道 |
| 開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止*廃止年クリックで、 同年廃止の駅を検索 |
| 1932年 | 1937年 |
▼この駅を走っていた路線
| 運営会社*虫眼鏡クリックで、 その会社を検索 | 路線*路線名クリックで、 その路線を検索 | 種別*種別名クリックで、 その種別を検索 |
| 鉄道省 | 江差線× | 普通鉄道 |
▼備考
鉄道省という古い時代にあった、江差線(えさしせん)の停車場。久根別駅と七重浜駅の間にあった(当時、東久根別駅は無かった)。仮乗降場という部類の停車場で、最低限の乗降のためのホームだけという簡易な設備だったと思われる。1932~1937年の間だけ、この辺りにあった。七重浜駅長の管理で、海水浴に使われたという。七重浜は函館湾に面した浜で、当時も今も、海水浴ができる場所として知られる。
この停車場のあった路線は後にJR江差線となったが、木古内~江差駅間が2014年に廃止されたので、江差を通らない江差線となった(専ら、「津軽海峡線」と案内された)。更に2016年3月26日には、江差線は北海道新幹線(新青森~新函館北斗間)の開業と同時に並行在来線として第三セクター化(後述)され、道南いさりび鉄道(株)の路線になった。道南いさりび鉄道線になった後は、路線記号「sh」と、それを使った駅番号が各駅に付けられている。
かつてこの線路は津軽海峡線の一部を成す重要な区間だったため、スーパー白鳥等の電車が通るために既に電化されている。しかし、道南いさりび鉄道線となった今、ここには気動車が走っている。つまり、電化設備があるのに、非電化路線のように気動車が走るという奇妙な事になっている。ただ、貨物列車は従来通り電気機関車を走らせているため、電化設備は完全な無駄にはなっていない。同様の例に、えちごトキめき鉄道と肥薩おれんじ鉄道がある。
※北海道新幹線のようなフル規格の新幹線を新しく作った場合、並んで走る在来線は「並行在来線」として三セク転換(第三セクター方式の鉄道会社へと転換)され、運営がJRから手放されるパターンが多い。上記の他にも、青い森鉄道・肥薩おれんじ鉄道などの例がある。そもそもこうして経営分離が許可されているのは、整備新幹線計画でそう定められた為。整備新幹線と並行(重複、二重)する在来線をJRから切り離す事で、二重投資によるJRの負担を避ける為だが、それにより、三セクとそれを支える自治体側が負担を強いられ、経営に苦戦する問題が出ている。鹿児島本線の一部など、収入の多い部分に限ってJRのまま残り、経営が苦しい区間だけを三セクに押し付けるなどといった歪んだ構造もある為、三セク鉄道は基本的に苦戦しやすい。その為、経営の工夫を凝らし、JR時代には消極的だったイベントや新駅開業などに取り組み始める事例も多い。ただ、江差線は特殊で、並行在来線への指定は主に東北本線や鹿児島本線など主要な路線(幹線)が受ける事が多い中、江差線は初の非幹線、つまり地方交通線としての並行在来線化事例だった。
※ちなみに、国鉄五大事故の1つである洞爺丸事故は、この七重浜沖が現場だった(但し、この事故は戦後に対し、当仮乗降場は戦前に無くなったため、当時既に無かった)。青函連絡船の洞爺丸が台風の中無理に函館を出港し、大波で沈没しそうになったため航行を中断。この七重浜の沖で意図的に座礁する事で深い海への沈没を逃れたつもりだったが、座礁の仕方に問題があったせいで座礁しながら横転してしまい、水没。座礁時に多くの客が助かると思い込んだためか救命胴衣で脱出せず、1000人以上が死亡しまったという。国鉄五大事故としても、日本の海難事故としても最悪のものだった。慰霊碑はここから南西へすぐの場所にある。 ▼関連写真