新函館北斗駅
最終更新: not_specified
▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新函館北斗 | しんはこだてほくと | | 北海道 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止 |
1902年 | - - - - 年 |
▼この駅を走る路線
▼備考
駅番号H70。1902年に北海道鉄道という私鉄の「本郷駅」として開業後、1907年に国有化、1909年には函館本線の駅となり、1942年には「渡島大野駅」(おしまおおのえき)に改称。
その後長らく在来線の渡島大野駅として続いたが、北海道新幹線の新青森駅~当駅間の開業に伴い、2016年3月26日にこの駅名に改称され、駅舎も新幹線仕様の新しいものに建て替わった(駅舎の位置も若干函館寄りにずれた)。駅名として当初「新函館駅」の仮称が付けられたが、後に正式駅名を決める時、函館市は仮称をそのまま採用する事を、北斗市は「北斗函館駅」とする事を主張し、両者なかなか譲らず議論が続いた。その結果、最終的には妥協案として現駅名になった。議論の時、「函館」を名乗るにはあまりに遠い立地が争点となった。
函館本線の当駅~七飯(ななえ)~五稜郭~函館駅間のうち、五稜郭駅以北は非電化だったが、新幹線開業に合わせて完全に電化された。同時に、電化された当駅~函館駅間を結ぶはこだてライナーという電車もデビューしている。一方、従来からある特急「北斗」(旧・スーパー北斗)もこの区間を走るため、北斗の同区間のみを利用する事もできる。但し、はこだてライナーは普通運賃のみで乗れるのに対し、北斗は有料特急なので、特急料金が要る。
※付近の函館本線は、函館平野から北上して大沼方面へ向かう時、大沼の標高が高いので、その分上り坂を登る。まだ当駅が新幹線駅ではなかった大昔、元々函館本線には当駅・仁山信号場(にやましんごうじょう、現・仁山駅)経由のルートしか無かったが、このルートは勾配がきつく、特に勾配に弱いSLの時代に問題になった。そのため、より勾配を緩めた藤城線(ふじしろせん、藤城支線とも)という別線が、1966年に開通した。この線路は七飯駅を出ると函館本線の本体から東側へ分岐し、緩やかな坂で勾配を稼いでから大沼駅手前で本体に合流する。上り勾配を緩めるための線路なので、大沼方面へ北上して坂を上る下り列車専用の線路となった(付近の函館本線では函館方面が「上り」列車、大沼方面が「下り」列車なので、実際の勾配と表現が逆なのが紛らわしい)。
しかし、地図を見れば分かる通り、この線路は当駅を避けるように伸びているため、そこを走る列車は当駅をスルーする事になる。当初の当駅は田舎の弱小駅だったため、下り特急が全て藤城支線経由で当駅をスルーしても問題無かったが、新幹線駅になると流石にそれはできなくなったので、今は上り下り両方の全ての特急が当駅にやって来るようになった(技術の進歩で、今のディーゼル特急車両なら急勾配にも対応できる)。しかし、今でもごく一部、藤城支線経由で当駅をスルーする下り普通列車が残っている。また、貨物列車は当駅をスルーしても何ら問題無いため、下り貨物列車も藤城支線を通る。
※付近の函館本線にはもう1つ、勾配を緩めるための別線がある(砂原支線)。つまり、函館本線は付近で2回も本線と支線に分かれては合流しを繰り返す。また、東海道本線の新垂井線や、東北本線の海線も、同様の理由で建設された。
※当駅の函館本線は、北海道新幹線の札幌への延伸時に第三セクター化されると思われる。但し、函館本線のうち函館~五稜郭~当駅~長万部間は貨物列車の運行上も必要なため線路が残されるが、特に閑散区間となっている長万部~ニセコ~倶知安~余市~小樽間については、三セク転換も無く鉄道自体が廃止される予定。延伸は2031年(2030年度末)の予定で、延伸すると北隣が新八雲駅(仮称)になる。延伸は元々2036年の予定だったが、前倒しされた。
※当駅の新幹線駅としての開業は2016年だが、データでは在来線の渡島大野駅時代も含めた開業年にしてある。 ▼関連写真