新がつく駅地図手帖

新羽島駅


最終更新: 2021/03/01

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新羽島しんはしま羽島(旧称)岐阜県
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廃止
1982年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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種別*種別名クリックで、
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名古屋鉄道羽島線(TH)普通鉄道
名古屋鉄道[直通]名古屋本線(NH)普通鉄道
名古屋鉄道[直通]竹鼻線(TH)普通鉄道

▼備考 

駅番号TH09の、名鉄羽島線の駅。名鉄駅で最西端の駅。新抜き駅は、今の「羽島市役所前駅」の、1982年までの旧称。 名鉄羽島線は、新幹線の岐阜羽島駅と岐阜市街(新岐阜駅など)の連絡のために1982年に開業した路線。元々は1964年の新幹線開通・岐阜羽島駅開業と同時に開業させる予定だったが、岐阜羽島駅前の開発計画と羽島線建設計画が折り合わず、用地買収が難航した事で開業が1982年まで遅れた。竹鼻線の江吉良駅(隣)から伸びる短い路線だが、ほぼ竹鼻線と一体化した運転がされている。駅番号も竹鼻線と同じ「TH」始まりで、通しになっている(竹鼻線の西笠松駅はTH01)。全線単線で、当駅も1面1線の行き止まり棒線駅だが、将来の利用客増に対応するために、当駅の線路を北側へもう1本増設して2番線を作れるような準備工事がなされている。当駅北東側には線路をもう1本追加できるほどの敷地がある(道路や駐車場になっている)上、当駅南東の紅白電波塔近くの高架には、2本目の線路を分岐させやすくするための突起、道路で言ういわゆる「イカの耳」が見られる。 ※2002年に、当駅へ到着しようとした列車が雪でスリップして停まりきれず、当駅の車止めへ衝突する事故が起こっている。それを受け、停車時の線路の長さに余裕を持たせるため、現在はホームの入口と列車停止位置が離れている。 ※昔は江吉良駅以南にも竹鼻線が伸びていて、羽島線は竹鼻線から分岐する形だった(笠松駅のページ参照)。 ※夕方のみ、笠松以北、名鉄岐阜方面の名古屋本線へも直通列車がある。本来は名鉄岐阜まで直通してこそ、「岐阜羽島駅と岐阜を繋ぐ」という羽島線本来の役割が生きるものだが、岐阜羽島駅がのぞみ等の停車駅ではなくあまり便利な新幹線駅ではなかったなどの理由で、羽島線は開業当初の予想に反して客が少なかったため、直通列車は少なくなった。ただ、羽島線の開通によって羽島市民が岐阜へ行きやすくなり、羽島の交通の便が上がったため、新幹線連絡という本来の想定とは別の形で、地元の役に立っている。 ※ところで、そもそも国鉄が新幹線が建設しようとしていた時、岐阜羽島駅がここに設置されるまでにもかなりの紆余曲折があったという。国鉄は元々、なるべく新幹線の線路が真っ直ぐで近道になるように、名古屋~滋賀県間を三重県・鈴鹿山脈経由で結ぶつもりだった。この初期案は、江戸時代の街道である本来の「東海道」に概ね沿っていた(関ヶ原を通ったのは中山道であって、東海道はあくまで三重県経由だった)。しかし、鈴鹿山脈経由だと高低差の問題で鈴鹿山脈に長大トンネルが必要になるため、その工事が難点として、岐阜県・関ヶ原・米原経由の現ルートへと変更された。しかも、米原経由の方が北陸アクセスに便利な事も、現ルートが選ばれる理由となった。ただ、新幹線が三重県ではなく岐阜県経由に変更されると今度は、新幹線を岐阜市内へ経由させようとする激しい誘致運動が地元で勃発し、大垣市もこれに参戦した。しかし国鉄は、新幹線を岐阜市経由にしてしまうと北へ大きく迂回する分遠回りなルートになってしまうため岐阜市経由を却下、大垣市も駅建設用地が足りないとの理由で却下。これが地元での激しい反発・争いを生み、国鉄はその過激な争いに困らされた。国鉄は助けを呼ぶべく、地元で支持されていた岐阜県出身の大物国会議員である大野伴睦(おおのばんぼく)を呼び、「争いの妥協案として、大野伴睦が岐阜市でも大垣市でもない第三者の羽島市に駅を誘致した」という事にしてもらった。実際には国鉄は岐阜市・大垣市以外の第三者の場所に駅を造る事をはなから決めていたが、過激な混乱を避けるため、あたかも国鉄ではなく彼が駅設置場所を選んだかのようにしてもらった。羽島のこの地は、駅の用地が充分に確保できる広大な水田地帯だったため国鉄はこの地を建設地として好んだが、用地があるという事は裏を返せば田舎という事なので、「こんな辺鄙な場所に新幹線駅を誘致したなんて」「これは大野伴睦による政治駅だ」との悪い印象が付いてしまった。しかし、岐阜市の政治勢力が岐阜市経由を執拗に求めたという点で、実際に政治色が強かったのはむしろ岐阜市側であって、国鉄は政治に振り回されずにちゃんと真っ直ぐな線路を敷くために、国会議員に手助けを頼んだだけだった。つまり、大野伴睦は地元政治勢力の利害の暴走に反対して国鉄のために仲裁役として活躍したため、大野伴睦はむしろ反政治勢力側であり、「大野伴睦が政治駅を造った」というのは全くの誤解。岐阜羽島駅前には今、彼の銅像も建っている。国鉄が地元の過激な誘致合戦に巻き込まれて板挟みになり、平和な第三者に解決を求めたという点は、ちょうど、作見駅(加賀温泉駅)の事例とも重なる。また、日本鉄道(現・東北本線)が足利経由を拒否したエピソードや、大船渡線の我田引鉄の事例にも、「特定の一地域の利害のために広範囲が関わる鉄道計画が振り回されてはならない」という教訓の面で、共通点が見られる。

▼関連写真 

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