新がつく駅地図手帖

新利府駅


最終更新: 2023/07/04

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新利府しんりふ利府宮城県
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廃止
1982年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

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JR東日本東北本線利府支線(利府線)普通鉄道

▼備考 

東北本線利府支線の駅。駅のすぐ隣には、JR東日本の新幹線総合車両センターがある。 東北新幹線の大宮~仙台~盛岡間が開業した1982年に、その車両基地の1つである現・新幹線総合車両センターが建設された事で、主にその職員がアクセスしやすくする為に当駅が設置された。但し、当初は厳密には「駅」ではなく「臨時乗降場」という区分だった。1987年のJR化と共に、通常の「駅」へと昇格された。また、建設当初の車両センターは「仙台新幹線第一運転所」と「仙台工場」という2つの施設に分かれていたが、1990年にそれらが統合されて「仙台総合車両所」となり、2004年には現在の「新幹線総合車両センター」に改称された。 当駅は一見、従業員専用の業務用駅かのような雰囲気が漂ってはいるが、一般人も普通に乗り降りできる。ただ、近所には一般人が普段使うような施設が徒歩圏内に殆ど無いというだけ。一応2021年になると、徒歩圏内に巨大なイオンモール(後述)が出来た為、当駅の一般需要も僅かに生まれた。しかし、当駅はイオンのアクセス駅としては公式には推奨されていない為、わざわざ「イオンへお越しのお客様は新利府駅ではなく利府駅でお降り下さい」という車内アナウンスが流れる事すらある。公式には、あくまで利府駅から出るバスでイオンへ行く事が推奨されている。 利府支線は通称、「利府線」とも呼ばれる。利府駅(北隣)止まりの単線の支線で、東北本線本体とは離れた場所にある。南隣の岩切駅で、東北本線の本体(陸前山王・塩釜・松島方面)と利府線が分かれる。 昔は利府経由のこの線路こそが東北本線の本体で、線路も利府で途切れる事無く、更に北東の品井沼駅方面へと抜けていた。途中、(初代)松島駅も経由した。この線路は、東北本線の前身である日本鉄道が建設した当初からのものだった。 しかし、このルートは線路の勾配がきつかった為、SLが峠越えに苦労した。その為、より勾配の緩い海寄りの新線が1944年に建設された。岩切駅から分岐し、品井沼駅で合流するその新線は、「海線」とか「東北海岸線」と呼ばれた。岩切からは元々、塩釜港の方へと伸びる「塩釜線」(当時の表記は「塩線」)という支線が分岐していたが、海線のうち岩切~現・国府多賀城駅付近までの線路は、この塩竈線の線路を利用して通された(但し、厳密には当時国府多賀城駅は無かった為、陸前山王駅がその境とされた)。以降は、岩切~陸前山王間が東北本線(海線)の一部として編入され、残りの陸前山王~塩釜港方面が塩竈線となった。そして、従来からの利府経由ルートは、「山線」と呼ばれるようになった。 ※ちなみに、勾配緩和の為に別線を設けた事例は他にも結構沢山あり、例えば新垂井線藤城線などもそうだった。また、塩竈線の発祥は、線路建設用の資材運搬線だという。 当初の海線は貨物列車だけが通ったが、その輸送力の大きさから次第に重要性が増し、徐々に旅客列車も通り始め、複線化もされた。この間、1956年には海線上の旅客駅として塩釜駅と新松島駅も新設された(この時、塩竈線の表記も「塩釜線」となった)。一方、山線は価値が下がっていった。そして遂に、山線の利府駅~品井沼駅間が1962年に廃止。残る岩切~利府間が廃止を免れたのは、利府周辺の住民が交通アクセス手段を失わない為に配慮されたもの。残されたここは盲腸線となり、利府線と呼ばれるようになった。そして後の1982年に、利府線内に当駅が誕生した。 ※その後も貨物線として残っていた塩釜線は、1997年に廃止された。 ※ところで、当駅・新幹線総合車両センターのほぼ真北にはイオンがあるが、これが2021年になって急に巨大化した。元々2000年以来、利府の中心市街地寄り(北側)のジャスコを中心とした「イオン利府ショッピングセンター」(通称「利府ジャス」、後に「イオンモール利府」)が利府のイオンとして長らく営業してきたが、最近になって当駅寄りの南側一帯に広がっていた広大な田んぼを潰して巨大な新館が建設された。この新館は既存店舗よりも大きい為、店舗面積は2倍以上に増え、新旧合わせた店舗面積がイオンモール名取を抜いて東北最大級のモールとなった。新館開業後は新旧共に「イオンモール新利府」と命名され、店舗名に「新」が追加された。そして、新館が「南館」、既存店舗もリニューアルされて「北館」と命名された。利府のイオンが「新利府」を名乗るようになった理由は不明だが、既存店舗は利府駅側の市街地にある一方、新館は敷地が広大過ぎてもはや市街地から外れた場所にあり、むしろ当駅の方が近い。その為、店舗名に付く「新」は当駅を意識した命名かもしれない。しかし、当駅関係無く単に「店舗をリニューアルした」程度の意味に過ぎない可能性もある。ただ、当駅は新館の最寄り駅ではあるものの、イオンはアクセス駅として当駅を公式には紹介していない上、バスも当駅からは出ていない。それでも、当駅を利用する物好きな客は一応僅かにいる。

▼関連写真 

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新利府駅入口手前。本当にここに駅があるのかというほど、無機質で殺風景な光景。分かりにくいから、看板まである。右に一般道があり、そこから左へと入口が伸びる。ここは、新幹線総合車両センターの入口(新利府門)も兼ねている。【撮影日:2015/03/17】 新幹線総合車両センターは、普段は主に東北新幹線の車両の整備などを行っているが、敷地内には東北新幹線の歴代の車両や、実験用に開発された試験車両なども保存されているため、毎年開かれる一般向けの見学会(新幹線車両基地まつり)で入る事もできる。その時は当然ながら、当駅の一般利用客が増える(※但し、この見学会は某ウイルスのせいで2020・2021年は中止されている)。また、まつりの時以外でも門で手続きをすれば一般人が入れるエリアがあるが、その時はこの新利府門ではなく、車両センターの北端付近にある利府門から入る事になるため、当駅ではなく利府駅からの方が近くなる。

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新利府駅の入口。この入口は普段から一般人も使えるが、旅客用とは思えない、業務用の雰囲気が漂っている。入口右上の電光掲示板には、運行情報が表示される。 当駅には出入口が2つあり、片方は北側にある大きな出入口、もう片方が南側にあるこの写真の小さな出入口。北側の大きな方は車両センターの敷地内(つまり門の内側)へと直結しているため、普段は関係者以外立入禁止となっていて、見学時のみ一般開放される。一方、この写真に写っている南側の小さい方は、敷地への門の目の前とは言え門の外側に出るため、普段から常に一般人が通れる。写真すぐ左方向に、車両センターの入口の門がある。 普段の利用者の殆どが大きい方の出入口を使う車両センターの職員で、こちらの小さい出入口を使う一般人の利用はほぼ無い。大きい方の出入口は職員の通勤専用のため、通勤・退勤の時間帯のみ開き、ちょうど鶴見線のような一時的なラッシュが見られる。【撮影日:2015/03/17】

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駅東側の水田地帯から、当駅ホームを望む。奥に見える建物は駅舎ではなく、新幹線総合車両センターのもの。【撮影日:2015/03/17】

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ところで、廃止された利府~品井沼間の線路跡地には、車両を保存した公園があった。森郷児童遊園と言うらしい。この車両はED91形と言い、その正体は仙台撮り鉄さんの動画に載っている。全国初の交流電化試験のために仙山線を走った名車両で、試験当時はED45形と言った。しかし、2021年頃から老朽化やアスベストなどの理由で解体が心配されており、車両の価値を知る団体からは保存要望が寄せられていた。河北新報の記事には、この車両の当時の貴重な写真も載っている。結局2022年1月には解体されてしまったらしく、もうこの写真の光景は見られない(自治体というものはどうも解体を強行しがち)。後ろにはひっそりSLも保存されていたが、それも一緒に無くなった。また、Kano鉄道局によると、2005年の時点ではまだそこまで老朽化が進んでいなかったらしい(敬称略)。【撮影日:2015/03/17】

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鉄道全然関係ないが、この公園にあるジャングルジムみたいな滑り台が凄すぎて、撮らざるを得なかった

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利府~品井沼間の東北本線旧線の廃線跡は、多くが今もこのように小道として残っている(途中にはトンネルの跡もあるが、遠すぎて寄れなかった…)。写真は利府駅よりもかなり北の方で、品井沼方面を向いて撮ったもの。この廃線区間には1つだけ途中駅があり、そこが松島駅だったという(今の松島駅とは別のもの)。この後、自転車でそこを目指した。続きは、こちらにて。【撮影日:2015/03/17】

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