新がつく駅地図手帖

新稲毛駅(仮称)


最終更新: 2023/07/02

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新稲毛(仮称)しんいなげ稲毛千葉県
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廃止
1986年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

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JR東日本京葉線(JE)普通鉄道

▼備考 

駅番号JE16の、京葉線の駅。当駅は1986年の開業以前はこの仮称だったが、正式駅名を「稲毛海岸駅」(いなげかいがんえき)とした。駅周辺は元々海だった埋立地(後述)である事もあり、当初は地名が無く、開業前はこの仮称になっていた(仮称の新抜き駅は、内陸側にある総武本線の駅)。この仮称は当駅開業前から広く周知されていた為、予め当駅周辺への出店を予定していた店など、いくつかの物件が今もこの仮称を名乗っている。例えば、「新稲毛支店」を名乗る銀行や店、「新稲毛ガーデンタワー」を名乗るマンションなどがある。※これと似た事例に、新大船駅がある。 そもそも全ては、元々潮干狩りのできる遠浅の海だった周辺一帯を豪快に埋め立てて新しい土地を造り、そこに海浜ニュータウン(かいひんにゅーたうん、以下、海浜NTと略記)という巨大なニュータウンを建設した事に始まる。建設は1968年に開始された。海浜NTは大きく分けて南東側から北西側へ順に、稲毛沖のエリア検見川沖のエリア幕張沖のエリアの3つの居住エリアに分かれている。そして、海の埋め立てと建設は概ね南東側から北西側へ、なおかつ内陸側(北東側)から海側(南西側)へと徐々に進んでいった。稲毛沖エリアにおいて、内陸側には「高洲」(たかす)、海寄りには「高浜」(たかはま)の地名が付けられた。検見川沖エリアでは、内陸側に「真砂」(まさご)、海寄りに「磯辺」(いそべ)の地名が付けられた。更に、最も新しい幕張沖のエリアは「幕張新都心」と命名され、そこにも多くの地名が付いた。1970年代前半に高洲・真砂地区が出来、後半には高浜地区、1980年代には磯辺地区、1990年代には幕張新都心が出来た。このように長きにわたって造成された各地区ではそれぞれの年代の建造物が見られる為、街づくりスタイルの変遷を追える博物館のようである。例えば、最も初期の高洲・真砂地区には日本住宅公団などの手掛けた昭和式のレトロで四角い団地が、それより後の団地には曲線などの意匠が、更に後発の磯辺地区には工夫された道路配置や戸建て群が、幕張新都心には豪勢なバブル建築が見られる。 当駅周辺の地区は、海浜NTの中でも最も古い地区である、稲毛沖のエリアの高洲にあたる。高洲地区の入居開始は1973年で、それをもって海浜NTの街の歴史は始まったと言える。高洲には高洲第一団地・高洲第二団地などのレトロな団地や、旧帝国海軍時代からの貴重な現存船「こじま」(軍時代は志賀)を保存した「こじま公園」などがあったが、最古地区とあって周囲の他地区は造成中だった為、広い更地も多く見られる異様な光景だった。1970年代の航空写真には、丁度出来立てほやほやの高洲地区が写る。北の方には、保存船こじまも見える。京葉線及び当駅は未完成で、駅前のマリンピア(後述)も更地。 海浜NTの公共交通としては、縦断移動を鉄道の京葉線、横断・域外移動をバスが担っている。特に、海浜NTの為に設立されたバス会社である千葉海浜交通(株)は、今もその主役を担う。千葉海浜交通は1973年設立で、高洲の完成時には既にバスを走らせていた。しかし一方で、元々貨物線になる計画だった事もあってか京葉線の建設は遅れ、1980年代までずれ込んだ。その為、初期の海浜NTへのアクセスは既存の総武本線の各駅からバスではるばる結ぶというもので、陸の孤島感があった。しかも、高洲においては最寄りの稲毛駅(新抜き駅)へのアクセス道路(稲毛陸橋)すら無かった為、高洲のバスはわざわざ幕張駅まで走った。その後1979年に稲毛陸橋が完成してバスは稲毛駅発着に変わったが、京葉線は依然未完成だった。 1980年代になると、当駅予定地の前に、忠実屋や扇屋ジャスコなどの大型商業施設が出来た。これらは現在もマリンピアとして周辺の中心的役割を果たす。そして、それらの開業後の1986年になってようやく、当駅含む京葉線の各駅が開業。当駅が稲毛沖エリア、隣駅の検見川浜駅が検見川沖エリア、海浜幕張駅が幕張沖エリアの玄関口を担う事になった。1992年に千葉市が政令指定都市になると、海浜NTがまるごと美浜区となり、区役所は検見川浜地区に置かれた。こうして今に至る。 ※一方、1998年には突如、上記の保存船こじまが老朽化で解体されてしまった(千葉市が全国の反対世論を押し切って独断で強行)。跡地は今、高洲スポーツセンターになっている。 ※当駅から南西へ約1.5km離れた場所には、稲毛海浜公園がある。そこには「いなげの浜」という砂浜もあるが、これは1976年に完成した日本初の人工海浜。その北西には、「検見川の浜」「幕張の浜」も連なる。「稲毛海岸」と言うと当駅周辺を指すが、この砂浜を指す事もある。また、それらとは別に、当駅より更に内陸(北東)側にも「稲毛海岸」という地名がある。その地区は海浜NTよりも更に古い1960年代に入居開始した埋立地で、そこにも古い団地がある。ただ、この地区は海浜NTには含めない場合が多い。立地はオリジナルの稲毛に近く、かつて海にあった稲毛浅間神社の一の鳥居もそこにある。 ※当駅周辺の景色が、アニメのあっちこっちに描かれている(当駅は作中で「猫毛海岸駅」になっている)。 ※検見川浜駅の反対側の隣駅は千葉みなと駅で、その更に先は京葉線の終点の蘇我駅。但し、当駅と千葉みなと駅の間には新港信号場も挟む。また、JR東日本は2016年8月に駅番号を導入し、当駅の駅番号は当初JE15だった。しかし、後に開業した幕張豊砂駅によって、当駅含む蘇我方面の各駅の番号が1つずつずれた。 ※2020年12月1日以降、千葉周辺の駅ビル・エキナカ商業施設「ペリエ」を運営する会社が、委託によって海浜幕張駅・検見川浜駅・当駅の駅自体の業務(改札など)をも受け持つ事になり、駅員の制服が変わるなどした。鉄道会社以外の会社が駅の業務を行うという奇妙な状態。

▼関連写真 

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駅舎。京葉線ではよくある高架駅。海岸をイメージして、波の文様があしらわれている【撮影日:2016/08/23】

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駅前には、イオンマリンピアショッピングセンター(マリンピア)というイオンがある。現在のマリンピアには、核店舗のイオンマリンピア店が入居している写真の「本館」の他、「専門館」という別館もある(専門館は写真左奥の木々の奥に隠れている)。本館は駅前広場直結で、駅から車道を渡らず店内に入れる。しかし、かつてこれらは別々の店で、競合店同士だった。【撮影日:2016/08/23】 専門館の方が歴史が古く、1981年に忠実屋新稲毛店として開業(これも店舗名が当駅の仮称を名乗っていた)。忠実屋(ちゅうじつや)は後にダイエーに吸収され、そのダイエーも現在は実質イオンに吸収されているため、その名は忘れられつつある。一方で本館は、1984年に扇屋ジャスコマリンピア店として開業。「マリンピア」の名はこの頃からあった。扇屋(おうぎや)もジャスコ(JUSCO)も忠実屋同様に今は無き名前だが、ジャスコは2011年と比較的最近まで使用された名前のため、聞き覚えのある人は多いと思われる。扇屋とジャスコも元々は他企業だったが、1976年という早い段階でこれらは合併し、ここへの出店時には「扇屋ジャスコ」という形態で展開していた。 先に出店していた忠実屋(ダイエー)側は、扇屋ジャスコマリンピアという強大な競合店の出現に対して様々な対抗策を練り、「Dマート」としてリニューアルを行ったりした。しかし、競合相手(マリンピア側)も1995年に改装を行うなどし、あまりに強かったためダイエー側の店舗の経営は傾いていった。その結果、ダイエー(旧忠実屋)側は2002年に閉店へ追い込まれ、残された空き店舗は翌年(2003年)に競合相手のマリンピアが取得、「マリンピアの専門館」として生まれ変わった。つまり、競合は扇屋ジャスコマリンピア側の勝利に終わった。 しかし一方、ジャスコ側はジャスコ側で変化が激しく、忙しかった。ジャスコは会社としてのイオンの前身であり、その後のイオンへの統一の動きの中で「扇屋」という名も使われなくなった(1999年以降、単に「ジャスコ」を名乗るようになった)。そして、「ジャスコ」の呼称も2011年に廃止されて最終的に「イオン」に統一された今、結果的に競合同士だったはずのダイエーとジャスコが両方ともイオンの一部となっている。ここの2店舗の変遷は、その激しい統廃合の縮図だったと言える。

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駅前ロータリー。すぐ奥にあるのがマリンピアの建物。その更に奥には、ツインタワーのマンションがある。この辺りで最も高く、遠くからでも「あそこが稲毛海岸だな」と分かるくらい目立つ。このツインタワーは厳密にはベイマークスクエアというマンション群の一部であり、30階建のツインタワーのみならず、15・19階建の他の住棟などからも構成されている。周辺の高洲の街は1970年代、当駅及びマリンピアは1980年代に出来たが、このマンション群は更に新しく、2000年に完成した。1990年頃の航空写真によると、このマンション群が出来る前は駐車場だったらしい。【撮影日:2016/08/23】

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駅前には像が立っていた。タイトルは「人」だった。ちなみに、あっちこっち(「備考」参照)ではこの像のタイトルが「猫」になってる。【撮影日:2016/08/23】

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当駅の駅名標。京葉線のラインカラー、ワインレッドも表示されている。【撮影日:2017/02/09】

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稲毛海岸駅ホーム。典型的な、相対式ホームの高架駅になっている。上写真は下りの蘇我方面で、左の遠くにうっすら見えるビルは、稲毛駅(新抜き駅)前にあるタワーマンション。下写真は、当駅を通過する下りの貨物列車。この後新港信号場を通って蘇我まで行ったのだろう【撮影日:2017/02/09】

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当駅に到着する、京葉線の快速東京行き。この車両は、E233系5000番台という。この日はこの後これに乗って、海浜幕張駅を目指した。【撮影日:2017/02/09】

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稲毛海岸駅の改札階のようす。高架下にあり、その柱にもワインレッドがあしらわれている。手前の下り階段の向こうに改札があり、その奥は改札外の南北自由通路になっている(写真左が南口、右が北口)。この撮影場所は中二階のようになってて、ここから更に別々に上下線の階段が伸びる。【撮影日:2017/02/09】

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稲毛海浜公園内にあるいなげの浜と、そこに2022年にオープンしたばかりの桟橋。いなげの浜からは東京湾を一望でき、この時間帯には東京湾上を行き交う多くの船舶の灯りを見る事ができる。桟橋は、そんな海の上を浮くように幻想的に光っている。桟橋にはカフェ併設で、椅子やテーブルも置かれている(撮影時は夏至近く、空がまだ薄明るくとも営業時間は過ぎていたが、それでも照明は灯り続け、桟橋自体には入れた)。また、写真には写っていないが、左手には五井・姉崎・袖ケ浦の工場群、右手には浦安・東京のビル群を望む事もでき、葛西臨海公園の観覧車やスカイツリーも見える。工場群のコンビナートからは時折、煌々とオレンジ色の巨大な炎が噴き出す。条件が良ければ、正面方向にアクアラインの橋や、彼方にみなとみらいのビル、そして富士山も見られる。【撮影日:2023/06/20】 稲毛海浜公園の歴史は1977年開園と長いが、時代に合わせて常に進化してきた。1976年のいなげの浜完成の翌年、プールの開業をもって開園したが、その後も1980年代には園内に稲毛ヨットハーバーや稲毛記念館、1990年代には花の美術館を開館させた他、最近もこのようなエモスポットやグランピング場を新設するなど、時代の先端を追い続けている。砂浜で焚き火をしたり、砂浜沿いの松林に裸電球を吊るしたお洒落な場所で晩餐会を開けたりもする。ヨットハーバーを挟んで向かいにある検見川の浜も稲毛海浜公園の一部であり、そこにもザ・サーフオーシャンテラスというエモい場所がある。 ※園内には他に、稲毛民間航空記念館というのもあった。これは、埋め立て前の遠浅の干潟だった時代の稲毛海岸が、1912年に日本初の民間飛行場の用地として活用された事を記念するものだった。これは2018年に閉館してしまったが、前述のグランピング施設の一部として建物は再活用され、展示されていた飛行機(復元機ではある)もそのまま残される。飛行場全体での日本初は所沢が有名だが、民間においてはここが初。上記備考で触れた、海浜ニュータウンよりも更に古い埋立地(地名としての稲毛海岸)には稲岸公園という公園があるが、その公園にも民間航空発祥之地記念碑という碑が建っている。

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