▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新稲毛(仮称) | しんいなげ | 稲毛 | 千葉県 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止 |
1986年 | - - - - 年 |
▼この駅を走る路線
運営会社*虫眼鏡クリックで、 その会社を検索 | 路線*路線名クリックで、 その路線を検索 | 種別*種別名クリックで、 その種別を検索 | |
JR東日本 | ■京葉線(JE) | 普通鉄道 |
▼備考
▼関連写真
駅前には、イオンマリンピアショッピングセンター(マリンピア)というイオンがある。現在のマリンピアには、核店舗のイオンマリンピア店が入居している写真の「本館」の他、「専門館」という別館もある(専門館は写真左奥の木々の奥に隠れている)。本館は駅前広場直結で、駅から車道を渡らず店内に入れる。しかし、かつてこれらは別々の店で、競合店同士だった。【撮影日:2016/08/23】 専門館の方が歴史が古く、1981年に忠実屋新稲毛店として開業(これも店舗名が当駅の仮称を名乗っていた)。忠実屋(ちゅうじつや)は後にダイエーに吸収され、そのダイエーも現在は実質イオンに吸収されているため、その名は忘れられつつある。一方で本館は、1984年に扇屋ジャスコマリンピア店として開業。「マリンピア」の名はこの頃からあった。扇屋(おうぎや)もジャスコ(JUSCO)も忠実屋同様に今は無き名前だが、ジャスコは2011年と比較的最近まで使用された名前のため、聞き覚えのある人は多いと思われる。扇屋とジャスコも元々は他企業だったが、1976年という早い段階でこれらは合併し、ここへの出店時には「扇屋ジャスコ」という形態で展開していた。 先に出店していた忠実屋(ダイエー)側は、扇屋ジャスコマリンピアという強大な競合店の出現に対して様々な対抗策を練り、「Dマート」としてリニューアルを行ったりした。しかし、競合相手(マリンピア側)も1995年に改装を行うなどし、あまりに強かったためダイエー側の店舗の経営は傾いていった。その結果、ダイエー(旧忠実屋)側は2002年に閉店へ追い込まれ、残された空き店舗は翌年(2003年)に競合相手のマリンピアが取得、「マリンピアの専門館」として生まれ変わった。つまり、競合は扇屋ジャスコマリンピア側の勝利に終わった。 しかし一方、ジャスコ側はジャスコ側で変化が激しく、忙しかった。ジャスコは会社としてのイオンの前身であり、その後のイオンへの統一の動きの中で「扇屋」という名も使われなくなった(1999年以降、単に「ジャスコ」を名乗るようになった)。そして、「ジャスコ」の呼称も2011年に廃止されて最終的に「イオン」に統一された今、結果的に競合同士だったはずのダイエーとジャスコが両方ともイオンの一部となっている。ここの2店舗の変遷は、その激しい統廃合の縮図だったと言える。
駅前ロータリー。すぐ奥にあるのがマリンピアの建物。その更に奥には、ツインタワーのマンションがある。この辺りで最も高く、遠くからでも「あそこが稲毛海岸だな」と分かるくらい目立つ。このツインタワーは厳密にはベイマークスクエアというマンション群の一部であり、30階建のツインタワーのみならず、15・19階建の他の住棟などからも構成されている。周辺の高洲の街は1970年代、当駅及びマリンピアは1980年代に出来たが、このマンション群は更に新しく、2000年に完成した。1990年頃の航空写真によると、このマンション群が出来る前は駐車場だったらしい。【撮影日:2016/08/23】
駅前には像が立っていた。タイトルは「人」だった。ちなみに、あっちこっち(「備考」参照)ではこの像のタイトルが「猫」になってる。【撮影日:2016/08/23】
当駅に到着する、京葉線の快速東京行き。この車両は、E233系5000番台という。この日はこの後これに乗って、海浜幕張駅を目指した。【撮影日:2017/02/09】
稲毛海岸駅の改札階のようす。高架下にあり、その柱にもワインレッドがあしらわれている。手前の下り階段の向こうに改札があり、その奥は改札外の南北自由通路になっている(写真左が南口、右が北口)。この撮影場所は中二階のようになってて、ここから更に別々に上下線の階段が伸びる。【撮影日:2017/02/09】
稲毛海浜公園内にあるいなげの浜と、そこに2022年にオープンしたばかりの桟橋。いなげの浜からは東京湾を一望でき、この時間帯には東京湾上を行き交う多くの船舶の灯りを見る事ができる。桟橋は、そんな海の上を浮くように幻想的に光っている。桟橋にはカフェ併設で、椅子やテーブルも置かれている(撮影時は夏至近く、空がまだ薄明るくとも営業時間は過ぎていたが、それでも照明は灯り続け、桟橋自体には入れた)。また、写真には写っていないが、左手には五井・姉崎・袖ケ浦の工場群、右手には浦安・東京のビル群を望む事もでき、葛西臨海公園の観覧車やスカイツリーも見える。工場群のコンビナートからは時折、煌々とオレンジ色の巨大な炎が噴き出す。条件が良ければ、正面方向にアクアラインの橋や、彼方にみなとみらいのビル、そして富士山も見られる。【撮影日:2023/06/20】 稲毛海浜公園の歴史は1977年開園と長いが、時代に合わせて常に進化してきた。1976年のいなげの浜完成の翌年、プールの開業をもって開園したが、その後も1980年代には園内に稲毛ヨットハーバーや稲毛記念館、1990年代には花の美術館を開館させた他、最近もこのようなエモスポットやグランピング場を新設するなど、時代の先端を追い続けている。砂浜で焚き火をしたり、砂浜沿いの松林に裸電球を吊るしたお洒落な場所で晩餐会を開けたりもする。ヨットハーバーを挟んで向かいにある検見川の浜も稲毛海浜公園の一部であり、そこにもザ・サーフオーシャンテラスというエモい場所がある。 ※園内には他に、稲毛民間航空記念館というのもあった。これは、埋め立て前の遠浅の干潟だった時代の稲毛海岸が、1912年に日本初の民間飛行場の用地として活用された事を記念するものだった。これは2018年に閉館してしまったが、前述のグランピング施設の一部として建物は再活用され、展示されていた飛行機(復元機ではある)もそのまま残される。飛行場全体での日本初は所沢が有名だが、民間においてはここが初。上記備考で触れた、海浜ニュータウンよりも更に古い埋立地(地名としての稲毛海岸)には稲岸公園という公園があるが、その公園にも民間航空発祥之地記念碑という碑が建っている。