新がつく駅地図手帖

奥新川駅


最終更新: 2024/07/07

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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奥新川おくにっかわ宮城県
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廃止
1937年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

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JR東日本仙山線普通鉄道

▼備考 

2023年現在、宮城県で最も西にある駅。山奥にあるが、立地場所は仙台市。初めは宮城町という町だったが、1987年の合併で仙台市の一部となった。当駅は仙台市青葉区にあり、すぐ西の方には仙台市太白区との境目もある。 当初、当駅周辺には新川(にっかわ)という集落があったが、これは元々付近一帯で江戸~大正時代にかけて開発された銅の鉱山のために形成されたもの。更に、周辺はかつて林業の拠点としても栄えた。林業で採れた木材は森林鉄道を使って運び出されたため、当時は付近一帯に定義森林鉄道などといった森林鉄道群が多く走っていたという。当駅付近からも、新川森林鉄道というのが出ていた。 しかし、1960年代に入ると森林鉄道が廃止され、鉱山も閉山したため、周辺の新たな振興策としてキャンプ場やハイキングコースなどが整備され始め、観光地化が進められた。ただ、それでも周辺の衰退は止められず、当初は数百世帯はあったという新川集落も今となっては数人が住む程度にまで縮小し、集落としては消滅した。その結果、当駅は秘境駅の1つに数えられる程になってしまった。キャンプ場も2017年に閉鎖、ハイキングコースも2020年に大半が通行止めとなった。 駅としての衰退は、当駅への停車列車の減少にも表れている。かつては快速も一部が停車したというが、2015年以降は快速が全て通過となり、当駅は各駅停車のみの駅となった。更に、2022年には遂に普通列車ですら一部が冬限定で通過し始め、2023年3月にはそれが一年中となった。※西隣の面白山高原駅(後述)も同様。 当駅すぐ目の前には奥新川食堂という食堂があり、周辺では唯一の飲食店として憩いの場になっていたが、それも2021年現在は閉業しているらしい。メニューも好評で、食堂に飼われていた犬も可愛がられてきた。2020年の時点では辛うじて営業していたらしいが、その頃から休業ぎみだったらしい。他に、なとりやという店もあったが、それは奥新川食堂よりも前から休業中という。キャンプ場の営業当時は、これらの店でキャンプの受付も行っていた。 仙山線(せんざんせん)は、宮城県の仙台駅と山形県の羽前千歳駅(うぜんちとせえき)を結ぶ路線。実際には、羽前千歳の先の山形駅まで乗り入れ、台と形を結んでいる。仙山線は奥羽山脈を越えて東西に伸びるが、山脈を越える関係上、急勾配区間も多い。当駅は仙山線の駅の中で2番目に標高が高く、山奥にある(1番は、仙山トンネル越しに西隣の面白山高原駅)。線内の途中にある愛子駅(あやしえき)は、難読駅名として知られる。沿線には、作並温泉山寺(立石寺)などもある。 仙山線は、日本初の交流電化路線として、また日本初の交直両用車両が誕生した路線としても知られている。まず、山越え区間である山寺~当駅~作並駅間の開通で1937年に仙山線が全通した時、当時はまだSLが主流だったものの、仙山トンネルという長大なトンネル内でのSLの煤煙被害を防ぐため、この山越え区間は当初から直流電化され、SLの代わりに電気機関車が牽引を担当した。その後1950年代になると、既に鉄道の交流電化の実用化を成功させていたフランスに影響され、国鉄は日本での実用化を計画した。そのための交流電化試験が1954~1956年にかけて仙山線で行われ、1957年には実際に仙山線内で実用化された。この試験があってこその後の鉄道技術の発展があり、もしこれがなければ茨城県の各路線の電化新幹線も実現しなかったと思われる。その試験車両の1つが、利府の公園に保存されている。 一方、1957年の時点ではまだ山越え区間(山寺~当駅~作並駅間)が直流電化のままで、今度は作並駅を境に直流区間と交流区間が混在する事になったため、この環境を活かし、次は仙山線内で交直両用車の試験・開発も行われた。1960年には直流電化区間が羽前千歳駅まで伸び、交直両用車も日本で初めて仙山線で実用化された。ただ、1968年に仙山線全体が交流電化に統一されたため、交直両用車は役目を終えた。当初は当駅の西の方に直流電化用の変電所(奥新川直流変電所)があったが、それも交流電化統一時に役目を終えた。今は資料館と共に、その変電所の一部が残されている。 ※本来、(福島~)山形~羽前千歳(~新庄)間は奥羽本線の区間で、山形新幹線のために軌間が広くなっている。しかし、仙山線の軌間は狭いままなので、山形~羽前千歳間では違う幅の線路が並んでいる(複線だが、奥羽本線と仙山線それぞれの単線状態)。 ※かつては当駅~作並駅間に八ツ森駅、作並駅東隣には西仙台ハイランド駅という駅もあった。しかし、両駅共にあまりに利用客がいなかったため2002~2003年にかけて休止され、2014年には廃止された。前者は当初「八ツ森仮乗降場」として開業していたが、JRの時代になって「仮乗降場」という区分が廃止されたにも拘らず、「八ツ森仮乗降場」と書かれた駅名標がそのまま残っていた。ただ、廃止後は駅設備の大半が撤去済み。 ※当駅の近くには、新川川(にっかわがわ)という川も流れている。新川川の作並側の下流部付近にはニッカウヰスキーの宮城峡蒸溜所もあるが、「新川」と「ニッカ」の読みが部分一致したのは偶然で、由来は前身の「大日本果汁」(株)の略称の「日果」から来る。

▼関連写真 

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仙山線山形行き快速から撮った、奥新川駅。快速は当駅を通過するため、ややぶれた。山深いが、仙台市。この後暫くすると、仙山トンネル(面白山トンネル)に入り、宮城県を出る。仙山トンネルは、仙山線が奥羽山脈を越えるための一番重要なトンネル。仙山線は単線なので、トンネル内には列車のすれ違い(列車交換)ができる面白山信号場も設けられているが、列車交換は当駅でもできるため、普段はあまり使われていない。【撮影日:2015/08/31】 ※仙山トンネルは、この区間の開通した1937年当初からあり、かなり歴史の古いトンネル。当時は長大トンネルを掘る技術が成長しつつあった頃で、開通当初の仙山トンネルは清水トンネル丹那トンネルに次いで日本で3番目に長いトンネルだったという。

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山形県に入り、仙山トンネルを出ようとしている所。出口左に少し見えるホームは、面白山高原駅(おもしろやまこうげんえき)。当初は国鉄の「面白山仮乗降場」という仮乗降場として設置されていたが、1987年にJRが発足すると「面白山駅」という臨時駅に昇格、更に翌年には常設駅に昇格し、駅名に「高原」が追加された。【撮影日:2015/08/31】 ※ところで、面白山というのはちょうどこの仙山トンネルが貫いている奥羽山脈の山の名前。これは「面白可笑しい山」という意味ではなく、単に「仙台側から見ると雪化粧で表っぽく見える山」という字面通りの意味しか無い。地元では昔、「面(つら)が白い山」という意味で「つらしろやま」とも呼ばれていたらしい。

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自分がこの日乗った快速山形行きはこんな車両(調べると、E721系と言うらしい)。撮影は、山寺駅。【撮影日:2015/08/31】

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山形~北山形(~羽前千歳)駅間の線路。左が仙山線のレール、右が奥羽本線(山形線)・山形新幹線のレール。確かに右の方が幅(軌間)が広い事が分かる。具体的には、狭い方が1067mmの狭軌、広い方が1435mmの標準軌。ところで、この区間(山形~北山形間)には左沢線も直通して来るが、左沢線も1067mmのため、左沢線の列車も当然ながら狭い方、つまり仙山線用の線路を使って走る。このように、見た目は複線でも実際には単線の機能を持った線路が2つ並んでいるだけの状態のものを、単線並列と言う。同様の事例に、秋田新幹線や成田空港方面の線路などもあるが、こうした軌間の異なる単線並列のみならず、軌間の同じ単線並列も勿論ある。軌間の同じものは一見すると普通の複線と見分けが付かないが、複線は必ず左側通行になるのに対し、あくまで単線の別路線が並ぶだけである単線並列では、同じ方向の列車が並走する事も普通にあり得る。現にこの写真も、一見すると右側通行しているように見える。 ※ちなみに見えづらいが、写真左には山形城の建物も写っている。【撮影日:2015/08/31】

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仙山線と山形新幹線のレールが平面交差する所。ここは、軌間の異なるレール同士が平面交差するという、非常にレアな場所。奥に見えるのは羽前千歳駅。この日は、仙山線で仙台から山形へ行ったあと、山形線で新庄駅まで北上した。その後を写した写真は、こちらにて。【撮影日:2015/08/31】

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