新がつく駅地図手帖

上州新屋駅


最終更新: 2022/08/26

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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上州新屋じょうしゅうにいや群馬県
開業*開業年クリックで、
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廃止
1915年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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路線*路線名クリックで、
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種別*種別名クリックで、
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上信電鉄上信線普通鉄道

▼備考 

上信電鉄上信線の駅。線路自体は1897年という早い段階に開通していたが、当駅は後から1915年に開業している。当駅すぐ東隣には、新屋信号所もある。 当駅は1915年に「新屋駅」として開業後、1921年にこの駅名に改称された。上信線内には「上州」の付く駅が当駅含めて5駅あるが、この時に5駅が一斉に改称された(当駅・上州福島駅・上州富岡駅・上州七日市駅・上州一ノ宮駅)。他所の駅名との重複考慮の関係か、旧国名が付けられたと思われる(同じ群馬県内にある読みの違う新屋駅とも紛らわしい)。「上州」は、上野国の事を指す。 当駅の駅舎・ホームは長らく線路の南側にあったが、2022年現在、これを北側へと移設する工事が進んでいる。この工事は、当駅北東の方に2022年4月に開業しためんたいパーク群馬の最寄り駅として当駅を便利にするために行われている。線路の南側の旧駅舎からめんたいパークへ行くには踏切を渡る必要があるため、その手間を無くす意図もあると思われる。しかし、北側の新駅舎が完成すると、旧来の南側の駅舎は役目を終えて解体されてしまう。旧駅舎はかなり歴史のある木造建築で、解体を惜しむ声が多い。何とかして両方残す事は、資金面で難しかったのかもしれない。新駅舎完成・旧駅舎解体は元々2022年3月の予定だったが、工事の遅れにより、2022年夏頃へと延長されている。 ※追記: 新駅舎は8月26日に完成し、実際に使用開始された。旧駅舎は、10月に解体予定上信電鉄上信線は、高崎駅と下仁田駅(しもにたえき)を結ぶ路線。上信線沿線には、2014年にユネスコの世界遺産になった事で知られる富岡製糸場などがある。更に、沿線の高崎市吉井町・山名町には上野三碑(こうずけさんぴ)という古代の石碑が現存しており、これが2017年にユネスコの「世界の記憶」に認定された事もあって、上信線沿線ではユネスコ関連のPRをよく見る。また、線内には「南蛇井駅」(なんじゃいえき)という珍駅名の駅もある。 開通当初は上野鉄道(こうずけてつどう)という社名で、路線設備も非電化かつ軌間762mmだった。上野鉄道は1895年に設立、路線も1897年に開通した歴史の長いもので、現存私鉄路線の中では東日本最古、日本全体でも南海電鉄伊予鉄道に続いて3番目だという。 その後、当駅開業後も暫くは上野鉄道として運営が続いたが、1921年になると「上信電気鉄道」への社名変更が行われた(当駅の改称も同年に行われた)。この社名変更は、電化して電気鉄道とする方針のほか、当時持ち上がっていた延伸構想も踏まえたものだった。具体的には、下仁田駅で途切れていた線路を更に南西へ延伸し、南牧村(みなみまきむら)を経由してから県境の山を越え、長野県の羽黒下駅(はぐろしたえき)へと線路を繋げる構想。つまり、それが実現すれば線路が野(上州)と濃(信州)にまたがる事から、「上信」を名乗った。しかし、結局この延伸が実現する事は無く、未成線となった。そもそもこの県境は険しく高低差の激しいもので、すぐ北の方にはあの碓氷峠もある。当時としてはかなり無謀な構想で、現在ではこの構想自体が幻のものとなっている。一方、電化と1067mmへの改軌は1924年に実際に行われた。更に、1964年には現在の社名の「上信電鉄」となっている。 ※ところで、当駅すぐ東側を流れる川には、三途川(さんずがわ)という名前が付いている。仏教の布教活動の一環で、行基が三途の川に因んで命名したらしいが、現代ではこの川の名前の書かれた看板などが「向こう岸はあの世」などとネタで撮られる事もある。

▼関連写真 

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上州新屋駅舎。正面の木造駅舎が、ギリギリ現役晩年の旧駅舎、その左奥に小さく見えるのが建設中の新駅舎。撮影時、新駅舎の建物自体は殆ど完成していて、あとは駅前道路の舗装などが未完成という状態だった。一方、旧駅舎の右隣(南側)は駐車場や駐輪場・トイレの敷地になっている。また、小さくて見辛いが、旧駅舎正面には「タクシーのご用は上信ハイヤー」と書かれた看板も置いてある。上信ハイヤーはタクシー会社で、上信電鉄のグループ会社。当駅前にはどうやらバスは通っておらず、タクシーのみの案内のよう。【撮影日:2022/06/27】 ※実はこの写真の新駅舎の更に左奥、写真左端のトラックの右上付近には、駅舎建て替えのきっかけとなっためんたいパークの看板(?)も写っている。めんたいパークの赤くて丸っこいキャラクターの形をしている。こうして見ると、最寄りとは言えかなり遠い。 ※追記: この旧駅舎は、新駅舎が8月下旬に完成・使用開始した事で、10月に解体予定という。目の前の県道もじきに拡幅工事されるらしく、旧駅舎用地の一部は県道になってしまうかもしれない。確かに、この写真の左側に見える新ホームは、道路拡幅を見越してか、旧ホームよりも奥に位置している。

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新旧駅舎を線路の北側から。上州富岡止まりの電車がやって来た。左側の新駅舎と新ホームはまだ使われておらず、あくまで右側の旧駅舎・旧ホームのみが1面1線の棒線駅として使われる。写真の旧ホームには工事員が1人、地元の客が1人写っている。写真の車両は、上信電鉄の700形という。700形は元々はJR東日本の107系だったが、JRを引退した後、2019年に上信電鉄へやって来たという。700形は幾つかあり、これはその702F下仁田ジオパークのラッピングがなされている。その顔には、「世界遺産 荒船風穴」とある。これは富岡製糸場とセットで世界遺産に登録されたもので、絹の原料作りのために蚕の卵(蚕種、さんしゅ)を貯蔵していた施設の跡らしい。【撮影日:2022/06/27】

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上州新屋駅舎を線路の南側から。このアングルだと、新駅舎は旧駅舎に隠れる。正面から見るとただの切妻屋根に見えるが、こうして斜めから見るとT字状の三角屋根となっている。左奥にはショベルカーなどが見えて騒がしい景色だが、駅舎自体は非常に趣がある。黒瓦や木の壁・窓は特に味があり、アルミサッシではなく木のサッシなのが尚更。これが解体されるのはあまりに勿体無い。ただでさえ歴史的な木造駅舎が減っている昨今、当駅もその例の1つとなってしまう。ただ、時代の流れの中で、バリアフリー化などの工事は施されており、初めは左側の階段しか無かった所、右側に新たな階段とスロープが追加されている。スロープの奥にはおびただしい数の自転車。【撮影日:2022/06/27】

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当駅南側(スロープ側)に広がる、駐車場スペース。この敷地には駐輪場や公衆トイレもある。公衆トイレの建物は比較的新しく、多機能トイレも用意されているが、その屋根はどうやら旧駅舎に合わせて黒瓦のデザインとなっている。おそらくスロープ整備と同時期に建ったものか? 当駅が有人駅だった頃の写真を載せている別サイトによると、この敷地にはかつて何かしらの建物が建っていたらしいが、それが解体された跡地にこのスペースを整備したらしい。【撮影日:2022/06/27】

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上州新屋駅の旧駅舎の中。当駅は無人駅だが、かつては有人駅だったようで、かつての駅員室の窓口が封鎖されつつもまだ残っている。無人駅化は2004年のため、それだけでも18年も前で相当昔の出来事だが、この駅舎は当然ながら更に古い。窓口の右側およそ4分の3は白いボードで塞がれ、そこに時刻表や運賃表、ワンマン列車の乗り方案内などが掲示されている。左側には窓口の窓が残っていて、カーテンが降ろされている。かつてはそこで硬券に鋏を入れていたのかもしれない。 窓口跡の下では、群馬サファリパークと上野三碑の掲示が目立つ。また、窓口跡の左側には、縦型の駅名板もある。あくまで接頭辞の「じょうしゅう」が小さく、メインの「にいや」が大きく書かれている。その下には青い広告もあり、上毛新聞というローカル新聞が書かれている。ローカル新聞の名前を見ると、遠くへ来た感が強く感じられる。【撮影日:2022/06/27】 ※有人駅だった頃の当駅の写真が載っているサイトもある。それによると、有人駅時代は駅舎の壁の色が白かったらしい。また、駅の北側・南側共に、何かしらの家が建っていたらしい。リンク先の写真にて、当駅北側には「大河原商店」との看板が見える。この商店の建物は少なくとも2014年頃までは残っていたが、今回の駅舎建て替え工事時に解体されたのか、今はその跡地が新駅舎用地となっている。また、南側の建物はそれより早く無くなったようで、その跡地が駐車場・トイレスペースとなっている。

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木造駅舎の醍醐味、木製の椅子と木製のサッシ(いわゆる木枠)、レトロなガラス窓。戦後~現代にかけてよく見られる、変に尻の形に合わせて小分けされた丸い椅子ではなく、素朴で平らな木の板で出来ている。最近の椅子は座れる人数が無理やり固定されているため、嫌でも端から1・3・5番目に座って人同士の間隔を開けるなど色々気にしなくてはならないが、このタイプの椅子は間隔も好きに決められるため、気楽で良い。しかし、近年はこのタイプのレトロな木製椅子はどんどん減ってしまっている。撮影者の近所のみどり台駅も昔はこの形だったが、何年も前に、よくあるやつに差し替えられてしまった。 そして、この窓ガラスの嵌め方は、軍艦島の端島小中学校の窓を連想させる。所々割れてしまったのか、ベニヤ板で塞がれている箇所もある。上写真の右奥には、有人改札が当たり前だった古い時代の、ホームへの改札ゲートも写っている。無人駅の今、このゲートは形骸化してしまっているのかもしれないが、かつての有人駅時代を彷彿とさせる。また、下写真を見ると、木製サッシの鍵も今主流のクレセント錠とは違い、金属のネジをねじ込むタイプ(ねじ式)。リフォーム前のおばあちゃん家にあったやつ。ただ、どうやら上から塗料が塗りたくられている。【撮影日:2022/06/27】

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旧駅舎内から出入口を見る。出入口左右や壁面など至る所に、「めんたいパークは踏切を渡り右側です」との掲示が貼られていた。旧駅舎から見てめんたいパークは踏切・線路の向かいなので、分かりにくい経路を改善するためと思われる。そしてまさかこれが、この旧駅舎の終わりの始まりになるとは誰が思った事か…名残惜しいが、便利さやPRとの天秤を思い知る。めんたいパークは車やバスで向かう人の方が多い上、学校のような施設ではないため定期的に人が大量に来るとも思えないが、こうした工事がきっかけで施設の存在を知ってもらうきっかけにもなり、事実、撮影者もこの工事を期にめんたいパーク群馬の存在を知った(大洗のには行った事があるが、群馬にも出来たとは知らなかった)。【撮影日:2022/06/27】

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上州新屋駅前の景色。旧駅舎の目の前を通るこの道路は群馬県道203号で、写真は県道の向かう南側を向く。この写真の左奥が南側で、遥か彼方には、国道254号とクロスする金井交差点の青看板も見える。 そして、その手前にも何やら工事車両が停まっており、「徐行」「車道拡幅工事中」とのオレンジ看板も見える。実はこの日、当駅の工事の他に、もう1つ別の工事が同時進行中で、このオレンジ看板は当駅の工事によるものではなく、道路工事によるもの。工事部分には三途川が流れており、県道が橋を渡る。実はその橋の両側に「一級河川 三途川 群馬県」と書かれた青看板が立っており、ネットで「三途川」とググって出てくる看板画像はそこのもの。しかし、あろう事かこの橋がこの道路工事で架け替えられる事になり、工事に伴ってこの青看板は撤去されてしまっていた。工事完了後に再び立てられるのかもしれないが、撮影時には「三途川」の看板を見る事ができなかった。【撮影日:2022/06/27】 ※この道路工事はじきに当駅前にまで及び、まさに旧駅舎正面のこの県道が、いずれは拡幅されるらしい。旧駅舎用地は、拡幅用地として潰されてしまうかもしれない。

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上州新屋駅のホーム。写真の向いている方向は、東側の高崎方面。撮影者のいる右側が旧来からある南側のホームで、単線(1本)の線路を挟んだ向かい(左側/北側)に、新ホームが造られている。新ホームは今すぐにでも使えそうな状態で、あたかも2面1線かのような景色だが、この時はあくまで旧ホームのみが使われ、新ホームは未使用。左側にはかつて駅施設は何も無い代わりに民家兼店舗(大河原商店)が建ち、駅としては右側の旧ホームと旧駅舎のみだった。こうしてこの写真を見直すと、まだ旧ホームの1面1線だけだった頃の景色を窺い知れる。但し、当然ながらあくまで新ホームも1面1線であり、工事後にホームが増えるわけではない。工事完了後は、旧駅舎のみならず、この旧ホームも放棄される。【撮影日:2022/06/27】 ※この日、旧駅舎内や旧ホームにも工事員が滞在しており、それがこの写真に写っている。旧駅舎内の写真の右端に写っている水筒も、工事員のもの。おそらく、乗客が危険な目に遭わない為に、工事と乗客の動向を監視・安全確認していたと思われる。

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上州新屋駅の旧ホームから、反対方向を向く。こちらが上州富岡・下仁田方面。旧駅舎の後ろ姿が見える。正面からはそうでもなかったが、こちら側はかなり駅舎壁面の塗装が剥げている。窓にはカーテンが降り、駅員室側の窓と分かる。左側の窓のみ、アルミサッシに取り換えられているようだった。その手前にはどうやら古いバラストを敷き詰めたようなスペースがあり、赤い古いベンチも置かれているが、そこへの侵入はトラロープで禁止されているようだった。ベンチも一部壊れている。紫色の花も咲く。手前正面の黄色い柵は廃レールを再利用したもので、平底レールの断面がよく分かる。奥の踏切付近の黄色い柵も、同様のレール製。【撮影日:2022/06/27】

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旧ホーム上(旧駅舎のすぐ隣)には、「甘楽町観光案内」という看板が立っていた。当駅周辺は群馬県甘楽郡(かんらぐん)の甘楽町(かんらまち)といい、周辺の観光地が案内されている。かなり遠い名所も案内されているあたり、国鉄・JR駅で言う「名所案内」看板に通じるものがある。おそらくめんたいパーク群馬が出来る前のもので、めんたいパーク群馬は載っていなかったが、そこまで古い看板にも見えない。当駅前のスロープや公衆トイレが整備された頃のものか?【撮影日:2022/06/27】 ところで、甘楽町内には他に、こんにゃくパークというのもある。甘楽町の中心は当駅西隣の上州福島駅の南側一帯で、駅からは距離はあるものの町役場もそこにある。こんにゃくパークは、町役場の隣にある。こんにゃく芋の生産量は群馬県がぶっちぎりで全国1位だといい、上信線沿線(特に下仁田)もこんにゃく芋の産地として有名らしい。某こんにゃくゼリーで知られるマンナンライフも沿線(富岡市内)の地元企業で、上州福島駅前にも工場を持つ。

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上州新屋駅の駅名標。この駅名標は全体的に白い余白が多く、字が小さい。シンプル。下部には関連会社の広告も載っている。タクシーの上信ハイヤーのみならず、上信観光バスというバス会社もあるらしい。【撮影日:2022/06/27】 ※この駅名標は、新駅舎・新ホームの開業と共に引退している。

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当駅の駅名標は旧ホーム全長の真ん中付近にあるが、若干高崎寄り(東寄り)にある。写真奥の黄色い服を来た工事員の見える辺りが、旧ホームの東端。そこは、後付けで延長したような鉄板の床になっているようだった。一方、左側が新ホームの東端。ホームの奥には鉄道信号機も見え、その更に先には新屋信号所もある。また、手前の信号機とホームの間には小さな鉄橋が架かっているが、実はこれも三途川を渡る橋で、三途川は当駅ホームのすぐ東隣を隣接して流れている。小さい川なので、ホームから見ると存在感は薄い。 そして、写真右中央に大きく写っているのは、高崎方面の列車を待つための待合室で、ベンチと屋根がある。ここは旧駅舎から見ると東端近く、一方で旧駅舎はホームの西端にある。上信電鉄はワンマン運転で、無人駅となった当駅では進行方向の一番前のドアしか開かない。下仁田方面(西側方面)の電車ならば、西端の旧駅舎で待っていても電車のドアはすぐ目の前に来るが、高崎方面(東側方面)の電車は、東端近いこの場所のドアのみが開く事になる。それを知らずに旧駅舎で待っていてはドアが遠いため、ここにも待合室がある。ここには、「高崎行 ワンマン列車 乗降口 駅員不在時」と書かれた看板も立っている。表現からして、当駅がまだ時間帯によっては有人駅だった頃の看板か。今となっては、常に駅員不在。【撮影日:2022/06/27】

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旧ホームから見た新駅舎。旧ホーム上の駅名標のほぼ正面にある。こちらも一応、旧駅舎の雰囲気に合わせてか黒瓦の屋根になっている。建物と新ホーム自体は出来ているが、新ホーム上の各種看板類が未完成で、黒い枠だけが立っている。おそらくこのどれかが、新たな駅名標になると思われる。時刻表などの各種看板も設置予定か。この新駅舎はホーム全体の真ん中付近にあるためか、ホームの端にあった旧駅舎と違い、屋根付きの待合室はこの新駅舎内の1ヶ所のみになるらしい。つまり、さっきの高崎方面専用の待合室のようなものは設置されない雰囲気だった。ただ、この写真の左端の新ホーム上にも、一応ベンチが1つ見える。【撮影日:2022/06/27】

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当駅へ到着する、下仁田行きの電車。この車両は上信電鉄の6000形と言うが、他所から転属して来た中古車両ではなく、上信電鉄オリジナルの車両だという(上信電鉄が自社発注)。6000形はこの世にこの1編成のみで、車両番号は写真手前側の1両目がクモハ6001、奥の2両目がクモハ6002。新潟鐵工所で製造され、1981年に登場したという。この車両は長らく、群馬日野自動車という会社の広告を担当しているらしく、正面には日野自動車のマークも描かれている。【撮影日:2022/06/27】 ※この6000形の写真を見ると、運転席が進行方向右側に設置されている事が分かる。自動車は普通右側だが、鉄道は線路上の左側に設置された信号機の視認性などのため、左側に運転席を設置するのが普通。しかし、上信電鉄の一部車両の中には、このように運転席が右側のものがある。西武やJRなど他所からの転属車両はもちろん左側にある(500形も左になっている)が、この6000形以前の自社発注車は右側になっている。これは、1973年以前のかつての上信線内で、タブレット閉塞が採用されていた名残だという。タブレット閉塞は閉塞の一種で、タブレットと呼ばれる器具を持った列車しかその区間の線路内には入れないというものだが、そのタブレットを持った運転士が、列車交換(すれ違い)時に右側にいる対向車の運転士へとタブレットを手渡し(タブレット交換)しやすくするために、運転席を右側にした。この車両は上信線のタブレット閉塞の廃止後にデビューしたが、それでも過去車両に合わせて慣例で右側にしたらしい。

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6000形が、下仁田方面へ発車しようとする。車体には「クモハ6001」とはっきり書かれている。このアングルでホームを見ると、新駅舎・新ホームの工事が始まる前の純粋な旧駅舎時代をイメージしやすい。かつてはここに駅員が立ち、電車を見送っただろう。その風景がイメージできる。【撮影日:2022/06/27】

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建設中の新駅舎を、北側の正面から見る。つまり、めんたいパーク側から撮ったもの。旧駅舎もその右奥に見える。こうして見ると、まだ駅前広場の道路舗装は全く始まっていない。一応はロードローラーで均され、縁石も設置済み。いずれ、ここが新たな当駅の玄関口となる。新駅舎の入口は階段の上にあるが、こっちの方が土地が低いのか、入口はかなり高い場所にあるように見える。階段の段数も、旧駅舎より多い。しかも、そもそもの新ホーム自体が、乗降時の段差解消のために若干高くなっている。左側には当然ながら新たなスロープも用意されているが、この新スロープは大きな高低差や緩やかさの分非常に長く、写真だと左に見切れている。【撮影日:2022/06/27】 ※備考追記の通り、この新駅舎は後の8月26日に完成した。

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工事看板によると、新駅舎開業予定は「令和4年 夏開業予定」とある。元々3月の予定だったが、工事に遅れはつきもの。具体的な月の表記は避けられているようだった。しかもこの日は6月中に梅雨が明けて快晴が続くという異常の中で、酷暑が続いていた。特にこの地域は内陸であり、かつフェーン現象で酷暑にもなりやすく、撮影時も体感35℃は軽く超える感覚だった(撮影者は日傘・お茶を持って行った)。そんな中で工事が予定通りに進むはずもない。この写真の左後ろの方(当駅から見て北西方向)には菅原神社という小さな神社があるが、境内は木陰になっており、工事員の休憩する憩いの場になっていた。休憩は大事。【撮影日:2022/06/27】 ※左のオレンジ看板には、この工事は「6月30日まで」とある。しかし、明らかにあと3日で終わる様子ではない。恐らくこの後、再延期されただろう(結局、8月下旬まで伸びた)。工事の遅れにより、本来は3月には無くなっていたはずの旧駅舎を、結果的には撮影できるチャンスに恵まれた、とも考えられる。

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新駅舎前の道路をめんたいパーク側(北東方向)へ進むと、この道路も三途川を渡る。写真右奥が、さっきの新駅舎。前述の三途川の看板こそ見られなくなったものの、写真の橋にははっきりと「三途川」の名が書かれている。この橋には「希望の橋」という名前が付いており、架橋年は2014年。「三途川」という響きから来るマイナスのイメージを打ち消すかのような命名。この橋を通る道路も、橋とセットで開通したものと思われる。この道路は北東方向のめんたいパーク方面へと伸びるが、めんたいパークの西側一帯にも新たな住宅地(金井北住宅団地)が開発されていて、元々はそこへのアクセス道路として開通したと思われる。というのも、めんたいパークは2022年に開業したのに対し、この道路は8年も前の2014年からある。旧駅舎の面する旧市街よりも、新築だらけのこの新たな住宅地の需要の方を優先したと考えれば、駅移転も理にかなっている。 ※新たな住宅地は、この写真だと背中の方向で、写っていない。【撮影日:2022/06/27】

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新駅舎前の道路を通り、希望の橋を渡り、そのまま道路を進んだ先にある、めんたいパーク群馬の建物。赤くて丸いキャラの看板(?)が目印。また、写真には写っていないが、写真左側の見切れた所に、上記の新たな住宅地が広がっている。この写真は東を向いて撮ったもので、新たな住宅地の東隣にめんたいパークが建っている事になる。宅地の中には現在進行形で売り出し中のものもあり、新築ばかりが並んでいた。移住かもしれないし、そうじゃないかもしれないが、ここに学生がいれば、毎日通学で希望の橋(三途川)を渡り、当駅を使う事になるかもしれない。「私は毎日三途川を渡ってるんだ」と、冗談話のネタとしては面白い。【撮影日:2022/06/27】 ※写真右手側(めんたいパークの南側)には更に広い巨大な空き地があるが、撮影日時点では何も建っておらず、用途も不明だった。将来的に活用予定の土地と思われる。 ※めんたいパークは甘楽町のかなり北東端にあり、そのすぐ向こうには高崎市が迫っている。そこは元々、吉井町(よしいまち)という独立した町だったが、2009年に高崎市に編入合併され、今は「高崎市吉井町」となっている。当駅から東へ2駅隣の吉井駅周辺が、旧・吉井町の中心だった。

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めんたいパークの中。冷房が効いて涼しく、酷暑の中を歩いた撮影者にとっては天国だった。ただ、「ピリッとかねふく明太子~♪元気モリモリ~♪」という陽気なBGMが常時鳴り続けていた。1階は写真中央のような巨大な土産物売り場と試食コーナーがあり、写真右奥にはちょっとしたフードコートもあった。そこで食べれる明太パスタがテレビか何かで紹介されたらしく、名物のようだった。また、れっきとした工場も併設で、見学もできるようだった。しかし、訪れた時間帯が午前10時台で絶妙に中途半端だった上、このご時世でもあるため、自販機で飲み物の追加購入・トイレ休憩だけしてすぐ駅へ戻った(この日は他に寄る場所もあった)。【撮影日:2022/06/27】

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上信線の高崎駅の様子。上信線には自動改札機が無く、ICカードも使えないため、乗り方はアナログになる。しかし、ワンマン運転かつ無人駅の存在する上信線では、高崎駅のような主要な有人駅と、当駅(上州新屋駅)のような無人駅で乗り方が違う。高崎駅から当駅へ向かう時は駅で切符を買うが、特に主要な有人駅には写真右のようなタッチパネル式券売機が置かれており、そこで切符を買う人が大半だった。ここで高崎駅発の切符を買うが、無人駅方面だろうが有人駅方面だろうが、全ての駅への切符が買えるため、これが一番楽。ただ、窓口で買う事もできるらしい。ここで切符を買った客のうち、若めの客の大半がどうやら高崎商科大学の学生らしく、多くが高崎商科大学前駅で降りて行った。【撮影日:2022/06/27】

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さっきの券売機で買った、当駅方面への切符。運賃は630円で、終点の下仁田駅まで乗ると1130円らしい。わりと高いが、地方私鉄の経営的にはこれくらいが妥当な気もする。基本的に薄利多売な鉄道の経営は、東京・大阪・名古屋のような大都市圏でないと難しい。買った切符を有人改札の駅員に渡して改札をくぐるが、その時に鋏を入れてもらう、というアナログ体験。右下に鋏が入れてある。切符の背景には、「てつどう JDK」と書かれた紋様が。「JDK」は、「Joshin Dentetsu Kabushikigaisha」(上信電鉄株式会社)の略らしい。【撮影日:2022/06/27】

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上信線の高崎駅ホームは0番線だった。「世界遺産 富岡製糸場は、上州富岡駅で下車です」と書かれた案内をよく見かける。上信線の鉄道むすめ、富岡しるくが可愛いよ~~~~~~~ めちゃくちゃ好みなんだが? 黒髪おさげ…個人的にはツインテールよりおさげの方が好(割愛 グッズ買えば良かった。この日は用事多く、時間無くて買えず。【撮影日:2022/06/27】 しるくが持ってる黒いダルマは上デキだるまと言い、上信電鉄が売っている受験グッズらしい。信電鉄にはデキ1形という大昔(大正時代)の電気機関車が動く状態で保存されており、それと高崎の名産のだるまを掛け合わせた黒いだるま。「上出来」に通じる縁起の良さと、受験に受かったら目を入れる縁起グッズとしてのだるまがうまく組み合わさっている。高崎および群馬県は日本一のだるまの産地でもあるといい、高崎だるまと言われる。上信電鉄のデキ1形は1~3号機の3両があり、それぞれデキ1・デキ2・デキ3の車両番号で呼ばれるが、デキ1は2017年に火災事故を起こして休止中、デキ2は1995年に引退済み、デキ3のみが唯一引退も事故も無い状態で動態保存されているらしい。 ※「デキ3」と聞いて、同じくらい古く、呼称も似ている銚子電鉄のデキ3形を連想したが、あくまで全くの別の車両。上信電鉄の「デキ3」は「デキ1形の3号機」という意味で、銚子電鉄の「デキ3形」はそもそも別の形式。銚子電鉄のはサイズが小さい。

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高崎駅から当駅へ向かう時に乗った車両。これは上信電鉄の500形というが、見て分かる通り、元西武鉄道新101系の中古車両。流鉄で見たものと同じ顔。これは500形の中でも第2編成で、沿線の地元企業、マンナンライフの広告ラッピングに包まれていた。「マンナンライフの蒟蒻畑♪」が脳内再生不可避。上記の通り、マンナンライフは富岡市の企業で、沿線は蒟蒻畑の原料のこんにゃく芋の産地としても知られるが、撮影者がそれを知ったのはこの文を書いてる段階。ここまで有名な会社がこの地域の会社だったとは…【撮影日:2022/06/27】

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500形の中、1両目の先頭部分。左に見えるのが運転士の後ろ姿。西武の昔の車両は、戸袋窓が良きかな。但し、ワンマン運転・無人駅対応のために改造が施されている。乗務員室の扉の上には、バスのような運賃表示器、手前には運賃箱、両替機。更に手前、カメラのすぐ目の前にあるのが、整理券発券機の上部。これはローカル線でよく見るスタイルだが、ようはバスと同じ。無人駅の時のみ、電車はバスに化ける。 当駅(上州新屋駅)のような無人駅には改札機能が無いため、運賃の支払いは駅ではなく、ここで行う。改札の無い無人駅は実質、バス停と同じような存在と見なせる。そして、ここでの支払い方法もバスと同じ。無人駅では、写真の進行方向一番前のドアしか開かない。これは2両編成だったが、それでも1両目の一番前のみが開く。その理由は簡単で、運転士が運賃を受け取る業務を兼ねているため。無人駅に着くと、一時的に乗務員室の扉から運転士が出てきて、客は運転士に運賃を見せながら運賃箱に入れる。これはバスと同じで、バスでも運転士が運転と運賃受け取りを兼ねるため、(先払いや一律運賃じゃない限り、)運転士の前で払って一番前から降りる。2両編成のめっちゃ長いバスだと思えば良い。さっき高崎駅の券売機で買った切符は、ここで運賃箱に入れて、当駅へ降りた。 一方、有人駅で降りる場合、運賃支払いは駅で行うため、ここでのバススタイルの支払いは行われず、代わりに全てのドアが開く。さっきの高崎駅での写真も、全てのドアが開いている。【撮影日:2022/06/27】

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ただ、鉄道の場合、バスと違って有人駅と無人駅が混在しており、これが乗り方や払い方をより複雑にしている。上記は降りる時の話だったが、乗る駅が有人か無人かでも、違いが出てくる。つまり、「有人駅→有人駅」「有人駅→無人駅」「無人駅→有人駅」「無人駅→無人駅」の4通りの乗り方があり、それぞれ払い方が違う(以下、「有→無」のように略記)。 当駅のような無人駅から乗った場合、今度は切符ではなく、この写真のような整理券が出て来る。電車のドアの脇にある整理券発券機から出て来る。これもバスと同じだが、さっきとは支払う内容が変わっている。切符は先に駅でお金を払った上でゲットするものなので、いわば支払い完了の証明書で、降りる時はそのまま切符だけを払えば良い。しかし、整理券は、後から降りる直前に運賃表示器を見て初めて運賃が決まる。整理券はあくまで「どの駅から乗って来たのか」を判別するための印でしかないため、それだけではまだ支払いは完了していない。後から支払い時に整理券と現金を一緒に払う。写真の整理券の場合、降りる予定の駅にもうすぐ着く所で運賃表示器の「11」の欄に書かれた額を用意する。 これだけ聞くとバスと同じで、ただの基本にしか聞こえないが、当駅のような無人駅で整理券を貰ってから有人駅で降りると、バスとは違う感覚になる。つまり、「車内ではなく駅の改札口で整理券と現金を渡す」という奇妙な体験ができる。支払い場所は駅なのに、支払い方法はバスなのだ。 まとめると、「有→有」の場合、乗る駅で切符を買って、降りる駅の改札で駅員に切符を渡す。「有→無」の場合、乗る駅で切符を買って、降りる時の車内で運転士に切符を渡す。「無→有」の場合、乗る時の車内で整理券を取り、降りる駅の改札で駅員に整理券と現金を渡す。「無→無」の場合、乗る時の車内で整理券を取り、降りる時の車内で運転士に整理券と現金を渡す。1つ目は完全に鉄道、4つ目は完全にバスの乗り方だが、2・3つ目は鉄道とバスが融合している。 この複雑さは、定期券を使う人にとっては無縁かもしれない。定期券を見せる場所が駅になったり車内になったりはするだろうが、ただ見せるだけで済む。実際、さっきの学生や地元の住民と思われる人々は、定期券らしきものを運転士に見せていた。また、PASMOやSuicaなどのICカードの導入でも、この複雑さは軽減できる。しかし、導入には費用がかかるため、将来的にするにしても時間がかかる。この日はこの後秩父鉄道の方へ行ったが、秩父鉄道もこの年(2022年)の3月にやっとICカードを導入したばかりだった。【撮影日:2022/06/27】

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当駅に到着する高崎行き。これに乗って帰ったが、今度はさっきと違う700形が来た。これは704Fで、方向幕がLEDになっている。また、この編成の色は、JRの107系時代の色を復活させたものだという。元々「JR」と書かれていた側面には、「JDK」と書いてある。車両前面とホームを見てみると、右側の新ホームの方が若干高いらしい事も分かる。旧ホームではドアがホームより高くて段差になっているため、それを減らすためか【撮影日:2022/06/27】 ※JR時代のこのカラーリングの107系が、アニメの日常にちゃっかり登場している。

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704Fの運賃表示器・運賃箱等。さっきの500形とはまた違った機器になっていて、こっちの方が新しい。さっきの運賃表示器は古風な7セグだったが、これは液晶(LCD)になっている。整理券発券機の位置も違う。【撮影日:2022/06/27】

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JR高崎線から上信線のその他の車両群を撮ろうとしたもの。この日は運用に入ってなかったお休みスヤア( ˘ω˘ )の電車くんたちか? 車両基地の奥にあるのが、上信電鉄の本社ビル。窓には「祝 富岡製糸場 世界遺産登録」、屋上には「富岡製糸場へは上信電鉄で!」などとある。 左の朱色?の車両は700形のまた別の編成、705Fで、この色は昔の上信線車両でよく見られた色の復活らしい。右側に並んで見えるのは、左から順に、250形7000形ホキ800形、右端の群を抜いて古そうな焦げ茶色の車両が200形。右側に見える車両群のうち、ホキ800形以外は全て上信電鉄オリジナルの自社発注車らしい。しかし、右端の200形はここに見える中で一番のおじいちゃん車両で、2020年に既に引退している。塗装も一部剥げ、かなり錆びているように見える。7000形の顔は、なんとなくTXの3000系を彷彿とさせる尖った形をしている(但し、7000形の方が先に登場している)。ホキ800形は黒いやつで、バラストなどを運んだり撒いたりするホッパ車という業務用のもの。また、デキ1形もこの車両群の中にいたが、他の車両に埋もれるように隠れる場所にあったため一瞬しか見えず、撮れなかった。【撮影日:2022/06/27】

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