新がつく駅地図手帖

桜新町駅


最終更新: not_specified

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
立地*立地名クリックで、
その立地を検索
桜新町さくらしんまち東京都
開業*開業年クリックで、
同年開業の駅を検索
廃止
1977年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
その会社を検索
路線*路線名クリックで、
その路線を検索
種別*種別名クリックで、
その種別を検索
東急電鉄田園都市線(DT)普通鉄道
東武鉄道[直通]伊勢崎線(東武スカイツリーライン)(TS)普通鉄道
東京地下鉄(東京メトロ)[直通]半蔵門線(Z)地下鉄

▼備考 

駅番号DT05の、田園都市線の駅。当初は新玉川線の駅として1977年に開業したが、新玉川線は後に田園都市線の一部となっている(後述)。 当駅の南の方には長谷川町子美術館があり、付近の商店街とも連携してサザエさん関係の町おこしが盛んに行われている(商店街の通りの名は「サザエさん通り」)。彼女は付近に永く住んでいたという。当駅にも「長谷川町子美術館前」の副駅名が付けられ、駅前にサザエさんの銅像があったり、駅名標にそのイラストがあしらわれたりしている。また、アニメの夜桜四重奏 ~ハナノウタ~では、当駅周辺の景色が描かれている。 ※福岡県にも、「サザエさん通り」という同名の通りがある。 田園都市線は渋谷駅と中央林間駅を結ぶ路線で、地元では「田都」(でんと)とも呼ばれる。沿線には多摩田園都市と呼ばれる大規模なニュータウンが広がるが、元々はその宅地開発の為に開通した路線。この宅地は戦後のものだが、その開発理念は戦前の田園都市にまで遡る。 今となっては大井町線とは別路線だが、田園都市線の発祥には大井町線が関わっている。というのも、田園都市線は大井町線を多摩田園都市方面へ延伸させる形で誕生した経緯がある為。1963年以前は、溝ノ口(現・溝の口)~二子新地前~二子玉川園(現・二子玉川)~等々力(とどろき)~自由ヶ丘(現・自由が丘)~大岡山~旗の台~大井町間が「大井町線」として走っており、「田園都市線」など無かった。しかし、1963年にこの大井町線全体が「田園都市線」へと改称され、「田園都市線」という路線名が誕生。つまり意外にもこの時、等々力駅も大岡山駅も大井町駅も田園都市線の駅となった。これは、当時進行中だった多摩田園都市の開発計画を見越して命名された路線名と思われる。入れ替わりに、「大井町線」という路線名は、一旦この世から姿を消した。 1966年になると、実際に多摩田園都市目掛けて延伸が行われ、溝ノ口止まりだった田園都市線は長津田駅まで伸びた。この時、二子橋からの鉄道専用橋分離や一部高架化も行われ、おおよそ今の田園都市線の原形が出来た。同年には、各駅名に含まれていた「ヶ」や「ノ」を、平仮名の「が」や「の」に変更する改称も行われた。しかし、当時はあくまでも長津田~溝の口~二子新地前~二子玉川園~等々力~自由が丘~大岡山~旗の台~大井町間が田園都市線とされ、依然として大井町駅を起点としていた。つまり、田園都市線は大井町駅から西へと伸びる路線だった。 その後何年もかけて徐々に線路は延伸を重ね、1968年につくし野駅、1972年にすずかけ台駅、1976年にはつきみ野駅まで伸び、1984年には最終的に中央林間駅へと到達した。しかし、その間に新玉川線と当駅が開業し、「田園都市線」と呼ばれる範囲に変動があった。 昔は、当駅予定地付近の地上に東急玉川線という路面電車が走っていたが、それは1969年に廃止された。その代替として、1977年に渋谷〜当駅〜二子玉川園間が開業し、路線名は「新玉川線」とされた。この区間は当初、あくまで田園都市線とは別の路線として分離され、田園都市線の長津田方面へ行くには二子玉川園駅での乗り換えが必要だったが、徐々に直通列車が増やされていき、1978年にはこの新玉川線経由で営団地下鉄(現・東京メトロ)半蔵門線との直通運転も始まった。すると、地下鉄と繋がっていない大井町駅方面よりも、繋がっている新玉川線経由の方が便利とあって重要性が増し、1979年には新玉川線は完全に田園都市線へと直通するようになった。一方、重要性の落ちた二子玉川園~大井町間は、同年に田園都市線から分離され、「大井町線」という別路線として切り離された。この時、「大井町線」という路線名が復活した事になる。こうして、(中央林間~)つきみ野~二子玉川園間が田園都市線、二子玉川園~当駅~渋谷間が新玉川線、二子玉川園~大井町間が大井町線となり、3つの路線名が連なる状態が暫く続いた。 しかし、もはや田園都市線の一部と言って良い状態だった新玉川線は、遂に2000年に田園都市線の一部として編入され、この時当駅は田園都市線の駅となった。2003年には半蔵門線が押上駅まで抜け、その先の東武線(新越谷・久喜・南栗橋方面)も入って来るようになった。東武側は直通用車両として30000系を開発したが、これが後述する田園都市線の混雑との相性が悪かった為、後に新たな東武直通車として50050型が導入されている。 現在の多摩田園都市には多くの人が住んで栄えているが、想定以上に田園都市線の乗客が増えた為、2000年代になると混雑率が200%を超えるなど混雑が深刻化した。その為、6ドア車の導入や一部複々線化などの対策が取られ、混雑はましになったが、今なお混雑率は高め。また、6ドア車はホームドア設置と両立できない為、後に廃止されている。 ※2019年には、田園都市線の南町田駅が大規模リニューアルされ、駅前の再開発と共に「南町田グランベリーパーク駅」に生まれ変わった。 ※旧・新玉川線区間は地下が多い為、地下鉄扱いすべきとの意見もある。

▼関連写真 

 まだこの駅には関連写真がありません。
写真を追加 / ギャラリー