▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
西新井 | にしあらい | 東京都 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止 |
1899年 | - - - - 年 |
▼この駅を走る路線
運営会社*虫眼鏡クリックで、 その会社を検索 | 路線*路線名クリックで、 その路線を検索 | 種別*種別名クリックで、 その種別を検索 | |
東武鉄道 | ■伊勢崎線(東武スカイツリーライン)(TS) | 普通鉄道 | |
東武鉄道 | ■大師線(TS) | 普通鉄道 | |
東急電鉄 | [直通]■田園都市線(DT) | 普通鉄道 | |
東武鉄道 | [直通]■日光線(TN) | 普通鉄道 | |
東京地下鉄(東京メトロ) | [直通]■半蔵門線(Z) | 地下鉄 | |
東京地下鉄(東京メトロ) | [直通]■日比谷線(H) | 地下鉄 |
▼備考
▼関連写真
西新井大師西駅からはるばる1.2km歩いて、西新井大師(上写真)と、東武大師線の大師前駅(下写真)に着いたところ。暑い。お寺的にはオフシーズンで、境内は閑散としていた。大師前駅の方は、利用客でそこそこ賑わっていた。ところで、この寺の正式名称は「五智山 遍照院 總持寺」(ごちさん へんじょういん そうじじ)と言い、「西新井大師」というのはその通称だという。通称の由来は、空海(弘法大師)がこの寺を訪れた当時、疫病に苦しんでいた地元の村人を救おうと彼が祈りを捧げた所、その本堂の西側にあった枯れ井戸から再び清らかな水が湧き出し、疫病も去ったことからだという。これが「西新井」という地名の由来にもなり、当駅名にも採用された。由来が由来だけに、周辺には「新井」や「東新井」といった地名は無いとのこと【撮影日:2016/09/03】
大師線の大師前駅ホーム。だだっ広い。1面2線の島式ホームにできる構造だが、北側の線路スペース(写真だと電車がいない方)に蓋をして、ホームが広がっている。推測だが、元々は西板線の途中駅として作られ、延伸を見越した名残かもしれない。でも実際には大師線は1駅区間しか無く、2番線は必要なくなった。また、1960年代の航空写真によると、大師前駅は現・環七通りよりも南の場所にある。1970年代になって環七通りが出来ると、大師線は環七通りよりも北側へ短縮され、大師前駅も現在地へ移転されているようだ。この時点で既に延伸は絶望的だが、2番線スペースがあるということは、東武としては延伸を諦めきれてなかったということか(真相は不明)。 大師線では、ワンマン運転で8000系が使われる。※ここまで来るのに、改札をくぐらない。このホームまでは無料で入れる。変な感じ。【撮影日:2016/09/03】
大師線の、西新井駅のホーム。西新井駅舎に入ってからわかったが、案の定、大師線の改札は西新井駅にあった。大師線には途中駅が無いため、一律料金で、1つの改札で済む。調べると、大師前駅を無人化・無改札化することで効率化しているらしい。和田岬線とかも同じ形態だという。Rail & Bikesによると、いわば、大師前駅の改札が西新井駅構内に出張した形だという(敬称略)。また、大師線は独立した運行で、東武スカイツリーラインに乗り入れたりしない(ピストン輸送)。【撮影日:2016/09/03】
この日の東武スカイツリーラインは他社の乗入れ車両ばかりで東武の車両をなかなか見れなかったが、1つ見れた。写真が下手すぎてぶれているが、この車両は東武50050系(正式には50050型)という、新しい車両。撮影は錦糸町駅。東武鉄道の車両なのに、半蔵門線内の押上止まりの電車だった。こうして車両の運用がアウェイな自社線外のみで完結してしまう事は相互直通運転ではよくある事で、「アルバイト運用」と呼ぶらしい。【撮影日:2016/09/03】 ※50050系は50000系シリーズの1つで、伊勢崎線が半蔵門線方面へ直通する時のための専用の車両だという。このシリーズには他に50070系や50090系という亜種もいるが、50070系は東上線側の地下鉄(有楽町線・副都心線)への直通用、50090系はTJライナー(東上線の座席指定列車)用の車両で、それぞれ役割と活躍場所が違う。50000系シリーズはオレンジ系のかぼちゃっぽい色の顔をしているため、「かぼちゃ」と呼ばれる事もある。それぞれのかぼちゃは、活躍場所や役割の他に車体長や各種設備など細かい所も違うが、全体的にはかなりそっくりなので見分けは付きにくい。※ところで、伊勢崎線側にも70090系が担当するTHライナーという座席指定列車がある。 ※50050系が登場する前は30000系が半蔵門線直通を担当していたが、半蔵門線の向こう側の田園都市線内での混雑との相性が原因で、30000系の多くが早々にこの直通から撤退してしまった。2021年には、全てが完全に東上線へ転属してしまった。主に30000系の途中にあった連結部分と中間運転台がデッドスペースとなり、乗れる客の数が減ってしまった事で、ただでさえ激しい田園都市線の混雑に拍車をかけていた事が原因と言われる。しかし、30000系には東武らしい個性や東武なりの工夫も多くみられる名車で、ファンも多いため、転属には悲しむ声も多く聞かれた。