新がつく駅地図手帖

新越谷駅


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▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
立地*立地名クリックで、
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新越谷しんこしがや越谷埼玉県
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廃止
1974年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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路線*路線名クリックで、
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種別*種別名クリックで、
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東武鉄道伊勢崎線(東武スカイツリーライン)(TS)普通鉄道
東急電鉄[直通]田園都市線(DT)普通鉄道
東武鉄道[直通]日光線(TN)普通鉄道
東京地下鉄(東京メトロ)[直通]半蔵門線(Z)地下鉄
東京地下鉄(東京メトロ)[直通]日比谷線(H)地下鉄

▼備考 

駅番号TS20の、東武伊勢崎線の駅。武蔵野線の南越谷駅と乗り換えができる。 1973年に武蔵野線の一部(府中本町~新座~南越谷~新松戸間)が開業したのを受け、その乗換駅として翌年に開業したのがこの駅。なぜ南越谷駅と同時に開業できなかったかと言うと、当駅建設のための用地がなかなか取得できなかったためという。当駅が未開業の間の1年間、武蔵野線の南越谷駅から伊勢崎線へ乗り換えるためには、地味に離れた南隣の蒲生駅(がもうえき)まで徒歩で向かう必要があった。 当駅は開業当初地上駅だったが、1990年代の高架化によって、今は高架駅となっている。また、当駅名の由来は、開業当時越谷市内で最新の駅だったためだという(但し、現在は2008年開業の越谷レイクタウン駅の方が更に新しい)。ただ、なぜ1年早く開業した既存の南越谷駅と駅名を揃えなかったのかは不明(後述するが、駅名を揃えなかった理由については俗説こそあるものの、東武公式は言及していない)。 ちなみに、周辺の地名は当駅の敷地含めて全て「越谷市南越谷」となっており、街の名前としては「南越谷」の方が浸透している。「南越」(なんこし)との通称もあるという。つまり、地名としての南越谷の中に、当駅と南越谷駅の両方が立地している。 ただややこしい事に、2016年には後から「越谷市新越谷」という別の地名も誕生した。この新地名は当駅から西へ500mほど離れた別の地域を指すもので、当駅は立地していない。にも拘らず、当駅名を由来としたらしい。地名としての新越谷には当駅どころか駅すら存在せず、東武伊勢崎線すら通っておらず、武蔵野線の線路のみが通っている。そのため、命名時には反対意見もあったというが、強行されたらしい。新地名誕生後も当駅は引き続き南越谷に立地しており、紛らわしい事この上ない。 ※新抜き駅の越谷駅は、当駅から北隣の駅。但し、1899年の伊勢崎線の開通当初は、更に北の現・北越谷駅が「越ヶ谷駅」を名乗っていたという。しかし、この初代越ヶ谷駅は後に「武州大沢駅」「北越谷駅」と駅名が変遷した一方、現在の越谷駅は後から追加開業している。初代越ヶ谷駅は元々、「越ヶ谷」を名乗るものの越ヶ谷宿の街道の北端にあり、そこは当時、越ヶ谷町ではなく大沢町だった(いずれも現・越谷市の一部)。そのため、越ヶ谷町内への駅新設の要望があり、1920年に後から2代目の同名の「越ヶ谷駅」(現・越谷駅)が出来た。これは東武鉄道で初の請願駅だったらしい。一方、初代越ヶ谷駅は本来の町名に合わせて「武州大沢駅」(ぶしゅうおおさわえき)に改称された。その後時代が進んで戦後の1954年になると、これらの町が合併して越谷町(現・越谷市)が誕生。すると今度は、両駅共に新たな町名に合わせて現駅名となった(1956年)。この時武州大沢駅は「北越谷駅」となったが、新町名は「ヶ」を抜いた表記となったため、越ヶ谷駅も「越谷駅」へと表記上の改称がなされた。 ※「東武スカイツリーライン」は、東武伊勢崎線の愛称。この愛称区間では、東京メトロ日比谷線・半蔵門線(とその先の田園都市線)と相互直通運転がされているので、ここから桜新町虎ノ門ヒルズ方面へも行ける。また、THライナーという有料座席指定列車も日比谷線へ直通するが、THライナーは速達性重視で停車駅が非常に少なく、当駅を発車すると次は上野までノンストップ。THライナーを担当するのは、70090系(70090型とも)という新しい車両。 ※当駅から南へ2つ隣には、新田駅もある。また、南越谷駅の東の方には、越谷貨物ターミナル駅という大きな貨物駅もある。

▼関連写真 

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当駅の駅名標【撮影日:2016/04/02】

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相互直通運転で、当駅ホームを発車する東急田園都市線の中央林間行き。この車両は、東急の8500系という。この車両はモーターが気持ち良い爆音を発することで人気だが、かなり古い車両のため、置き換えが進んでいる。【撮影日:2016/04/02】

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JR武蔵野線の南越谷駅ホームから、新越谷駅ビルを見る。写真でも見えるが、この駅ビルには「新越谷VARIE」(しんこしがやヴァリエ)という名前が付いている。その建物内のほとんどがショッピングセンター【撮影日:2016/09/10】

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同じくJR武蔵野線の南越谷駅ホームから。写っている車両は、武蔵野線の209系500番台。奥に写るのが新越谷駅のホームと駅ビルで、武蔵野線と新越谷駅ホームが立体交差してるのが分かる。しかし、見ての通りホーム同士は立体交差せず位置がズレているため、直接の乗り換え改札は無く、乗り換えるには一度地上に下りてまた上る必要がある(新越谷駅のホームは高いので、上るのが大変)【撮影日:2016/09/10】

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地上に下りて、JRの南越谷駅入口から新越谷駅入口を見る。手前の柱や周辺の壁には、地元の文化を推すラッピングがされている(南越谷阿波踊りと言うらしい)【撮影日:2016/09/10】

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当駅入口をくぐるとまず階段が現れる。手前の階段の奥には更なる階段が待っている。ここが結構大変。このあたりには駅ビル内のショッピングセンターの入口もある(写真は早朝なのでそのシャッターが閉まっている)【撮影日:2016/09/10】

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長い階段を越えてから左に曲がったところ。この奥左手に当駅改札がある。しかし、改札をくぐってもホームは更に上にある為、また階段。この駅は武蔵野線の高架を跨ぐ為にホームがやたら高くなっているが、実は開業当時は逆で、当駅が地上にあり、武蔵野線がそれを跨いでいたという。後の1993~1994年にかけて当駅は高架化され、今の形になった。高架化前の1980年代の航空写真には、当駅ホームの北端よりも武蔵野線の方が高い場所を通る様子が写っている。【撮影日:2016/09/10】 ※このように、高架が高架を跨いでいるものを高々架と呼ぶ事もあるという。 当駅が高々架になった事で、アホみたいに階段が増え、乗り換えが相当大変になったと思う。しかし、地上駅時代には地上の線路による周辺の東西の交通分断や踏切が問題になっていた為、それはそれで仕方なかった面もある。ただやはり、武蔵野線の南越谷駅と当駅の位置がズレてさえいなければ、高架から降りずに少ない階段で楽に乗り換えできた可能性もある。 楽な乗り換えが実現しなかった原因として、某袋には、「もし両駅の乗り換えを楽にしてしまうと伊勢崎線の客を武蔵野線に奪われてしまう為、東武はなるべく乗り換えしてほしくないから。わざわざ両駅の駅名が異なるのも、両駅の開業年がズレたのも、その為」との説が書かれている。しかし、東武はそのような公式発表をしていない為、これは俗説に過ぎず、根拠も全くもって不明。邪推や眉唾物と見て良い。なぜなら、当駅名には乗り換えとは無関係の由来が示されている上、開業年がズレたのも「用地取得難航」という別の理由。それに、武蔵野線の乗換先が別駅名である例は他にも沢山あり(秋津/新秋津、朝霞台/北朝霞、八柱/新八柱)、ここに限った話ではない為、乗り換えし辛くする為に別駅名を名乗ったとは考えにくい。しかも、当駅開業時は地上駅であり、今のような大量の階段は無かった為、物理的にも乗り換え辛くなかった。つまり、仮に東武が俗説通りの意思を持ったとしても、それは当駅開業時ではなく、高架化時という事になる。しかし、公式見解が無い以上、その根拠も皆無。おまけに、武蔵野線と伊勢崎線は片や環状線、片や放射線であり、機能上も全く異なるルートを走る為、客を奪い合うような競合は起こりようがない。よって、東武は乗り換え客を気にしていないと考えた方が自然。ただ、「便利になって高架上のみで乗り換えが完結してしまうと、客が地上へ降りて来なくなる為、地上の駅前商店街から反発が出る」というのはあり得る。というのも、同様の理由で乗り換え改良工事案が頓挫した先例が存在する。

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