▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新越谷 | しんこしがや | 越谷 | 埼玉県 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止 |
1974年 | - - - - 年 |
▼この駅を走る路線
運営会社*虫眼鏡クリックで、 その会社を検索 | 路線*路線名クリックで、 その路線を検索 | 種別*種別名クリックで、 その種別を検索 | |
東武鉄道 | ■伊勢崎線(東武スカイツリーライン)(TS) | 普通鉄道 | |
東急電鉄 | [直通]■田園都市線(DT) | 普通鉄道 | |
東武鉄道 | [直通]■日光線(TN) | 普通鉄道 | |
東京地下鉄(東京メトロ) | [直通]■半蔵門線(Z) | 地下鉄 | |
東京地下鉄(東京メトロ) | [直通]■日比谷線(H) | 地下鉄 |
▼備考
▼関連写真
相互直通運転で、当駅ホームを発車する東急田園都市線の中央林間行き。この車両は、東急の8500系という。この車両はモーターが気持ち良い爆音を発することで人気だが、かなり古い車両のため、置き換えが進んでいる。【撮影日:2016/04/02】
JR武蔵野線の南越谷駅ホームから、新越谷駅ビルを見る。写真でも見えるが、この駅ビルには「新越谷VARIE」(しんこしがやヴァリエ)という名前が付いている。その建物内のほとんどがショッピングセンター【撮影日:2016/09/10】
同じくJR武蔵野線の南越谷駅ホームから。写っている車両は、武蔵野線の209系500番台。奥に写るのが新越谷駅のホームと駅ビルで、武蔵野線と新越谷駅ホームが立体交差してるのが分かる。しかし、見ての通りホーム同士は立体交差せず位置がズレているため、直接の乗り換え改札は無く、乗り換えるには一度地上に下りてまた上る必要がある(新越谷駅のホームは高いので、上るのが大変)【撮影日:2016/09/10】
長い階段を越えてから左に曲がったところ。この奥左手に当駅改札がある。しかし、改札をくぐってもホームは更に上にある為、また階段。この駅は武蔵野線の高架を跨ぐ為にホームがやたら高くなっているが、実は開業当時は逆で、当駅が地上にあり、武蔵野線がそれを跨いでいたという。後の1993~1994年にかけて当駅は高架化され、今の形になった。高架化前の1980年代の航空写真には、当駅ホームの北端よりも武蔵野線の方が高い場所を通る様子が写っている。【撮影日:2016/09/10】 ※このように、高架が高架を跨いでいるものを高々架と呼ぶ事もあるという。 当駅が高々架になった事で、アホみたいに階段が増え、乗り換えが相当大変になったと思う。しかし、地上駅時代には地上の線路による周辺の東西の交通分断や踏切が問題になっていた為、それはそれで仕方なかった面もある。ただやはり、武蔵野線の南越谷駅と当駅の位置がズレてさえいなければ、高架から降りずに少ない階段で楽に乗り換えできた可能性もある。 楽な乗り換えが実現しなかった原因として、某袋には、「もし両駅の乗り換えを楽にしてしまうと伊勢崎線の客を武蔵野線に奪われてしまう為、東武はなるべく乗り換えしてほしくないから。わざわざ両駅の駅名が異なるのも、両駅の開業年がズレたのも、その為」との説が書かれている。しかし、東武はそのような公式発表をしていない為、これは俗説に過ぎず、根拠も全くもって不明。邪推や眉唾物と見て良い。なぜなら、当駅名には乗り換えとは無関係の由来が示されている上、開業年がズレたのも「用地取得難航」という別の理由。それに、武蔵野線の乗換先が別駅名である例は他にも沢山あり(秋津/新秋津、朝霞台/北朝霞、八柱/新八柱)、ここに限った話ではない為、乗り換えし辛くする為に別駅名を名乗ったとは考えにくい。しかも、当駅開業時は地上駅であり、今のような大量の階段は無かった為、物理的にも乗り換え辛くなかった。つまり、仮に東武が俗説通りの意思を持ったとしても、それは当駅開業時ではなく、高架化時という事になる。しかし、公式見解が無い以上、その根拠も皆無。おまけに、武蔵野線と伊勢崎線は片や環状線、片や放射線であり、機能上も全く異なるルートを走る為、客を奪い合うような競合は起こりようがない。よって、東武は乗り換え客を気にしていないと考えた方が自然。ただ、「便利になって高架上のみで乗り換えが完結してしまうと、客が地上へ降りて来なくなる為、地上の駅前商店街から反発が出る」というのはあり得る。というのも、同様の理由で乗り換え改良工事案が頓挫した先例が存在する。