新逗子駅(旧称)
最終更新: 2022/04/01
▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新逗子(旧称) | しんずし | 逗子 | 神奈川県 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止 |
1985年 | - - - - 年 |
▼この駅を走る路線
▼備考
京急逗子線の終点で、駅番号KK53。当駅は長らくこの駅名で親しまれたが、2020年に「逗子・葉山駅」(ずし・はやまえき)に改称された(後述)。逗子駅(新抜き駅)はJR横須賀線の駅で、すぐ北にある。
当駅は開業以来、改称や統合が目まぐるしく行われてきた。1985年までは、京浜逗子駅(今の当駅の駅ビルと北口の場所に、1930年からあった駅)と逗子海岸駅(現ホームより200mくらい南)の2駅だったが、それらを統合して出来たのが当駅。「新逗子駅」という駅名は、その時誕生した。統合によってホームが今の場所に移転したが、北口のある駅ビルは旧京浜逗子駅舎のあった場所に建っているため、ホームから駅ビルまで少々距離がある(駅ビルまでの連絡通路は長く、かなり歩く。外から見ても目立つ)。逗子海岸駅方向には、南口もある。
※京急では、2駅の統合によって「新」が付いた事例がもう1つある。
長い間「新逗子駅」の名で親しまれた当駅だが、京急創立120周年記念事業の「わたしたち、ぼくたちのわがまち駅名募集」という企画が行われると、より沿線住民にとって分かり易い駅名にするために新駅名案の公募が行われ、それを受けて当駅が対象となった。2020年3月14日に、現駅名に改称。「逗子・葉山駅」という中黒を含んだ駅名となり、旧駅名は「旧駅名 新逗子」という副駅名として残された。しかし、実際には線路は全くもって葉山町に入っておらず、本当の葉山は山を越えた先にあるため、葉山でもない場所にある当駅が「葉山」を名乗る事に対して、葉山町側から反発の声も出た。ただ、一応当駅も、バス乗り換えなどによって葉山へのアクセスに使う事はできる。しかも、実は逗子海岸駅が出来るよりも更に昔には、同じ場所に「湘南逗子駅葉山口」という形態のホームがあった時代があるため、この場所にある駅が「葉山」を名乗るのは初めてではない。
今回の改称では当駅の他に、産業道路駅・花月園前駅・仲木戸駅もそれぞれ「大師橋駅」「花月総持寺駅」「京急東神奈川駅」へと改称。京急東神奈川とかは凄く直感的になって分かり易いなと思う一方、歴史的な名残が消えていく気もする(個人的には業平橋駅を思い出す)。
※かつての「京浜逗子駅」の駅名に付いた「京浜」は、京急(京浜急行電鉄)の古い略称で、京急の前身である京浜電鉄時代の名残。現在の京急の会社(京浜急行電鉄)が1948年に誕生した当時はまだ、「京急」という略称は存在しなかった。そのため、各駅名に付く社名接頭辞も「京浜」で、京急川崎駅や京急新子安駅も、当時は「京浜川崎駅」「京浜新子安駅」を名乗った。逗子線は厳密には京急のもう1つの前身である湘南電鉄の敷いた区間であり、京浜逗子駅も元は「湘南逗子駅」を名乗っていたが、1963年に社名接頭辞を「京浜」に統一していた。しかし、「京急」という別の略称が1950年代から自然発生しており、1963年当時では既に略し方として「京浜」派と「京急」派が混在していた。その後、1987年には「京急」派が圧倒的多数となったため、各駅名に付く社名接頭辞も「京浜」から「京急」に変更されている(この時、京浜川崎駅も京急川崎駅となった)。
京急逗子線は、金沢八景駅で本線から分岐し、六浦駅(むつうらえき)、神武寺駅(じんむじえき)を経由して、ここまで伸びる路線。付近はJR横須賀線の線路が近く、当駅すぐ北東辺りには、JR横須賀線と逗子線の線路を繋ぐ連絡線がある。主に、京急線エリア(金沢八景駅のすぐ北北西)にある総合車両製作所横浜事業所から、JR線へ車両を回送するのに使われる。しかし、JRと京急は軌間(レールの間隔)が違うため、JRの回送線と逗子線が線路を共有する神武寺~金沢八景間は、上り線だけ三線軌条になっている。
※YouTubeに分かりやすい動画がある。
※ところで、逗子線と横須賀線の連絡線のすぐ西には横須賀線の留置線が並んでいる場所があるが、その逗子駅寄りには、山の根踏切という長い踏切がある。この踏切、遮断機も警報機(カンカンと音が鳴るやつ)も無く、警標(X形のやつ)や柵があるのみ。列車が近づいてもウンともスンとも言わないので、渡る人が自分で列車を確認してから渡らねばならない(丁度、信号の無い横断歩道のようなもの)。こういうのを第四種踏切と言うが、その大半は田舎のローカル線にある短い踏切なのに対し、山の根踏切は渡る距離が長く、しかも列車の本数も多い都会の第四種踏切なだけあって、異質な存在。遮断機も警報機も無い第四種踏切は、両方ある普通の踏切(第一種踏切)よりも危険なため、減らそうという風潮はあるが、なかなか撤去が進まない事も多い。実際、山の根踏切でも過去に事故が起きているが、住民が踏切撤去に反発したため、今でも使われている。 ▼関連写真