新がつく駅地図手帖

神奈川新町駅


最終更新: 2024/07/06

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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神奈川新町かながわしんまち神奈川県
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廃止
1915年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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路線*路線名クリックで、
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種別*種別名クリックで、
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京浜急行電鉄本線(KK)普通鉄道
京浜急行電鉄[直通]久里浜線(KK)普通鉄道
京浜急行電鉄[直通]空港線(KK)普通鉄道
京浜急行電鉄[直通]逗子線(KK)普通鉄道
東京都交通局[直通]都営地下鉄浅草線(A)地下鉄

▼備考 

駅番号KK34の、京急本線の駅。1915年に「新町駅」として開業後、1927年にこの駅名に改称。すぐ西南西の方には京急の新町検車区もあり、京急の車両の保守管理などが行われる重要な場所にもなっている。品川方面で2つ隣には、京急新子安駅もある。 線路の内陸側に西口、海側に中央口がある。西口側のビルには、京急の社員の育成所なども入っている。当駅は快特(後述)は通過するものの、特急以下は停まるかなり重要な駅。その割には、長らくホームへの通路が階段のみでエレベーターが無かったり、駅構内に店も何も無いなどの問題がある為、将来中央口側の駅舎を建て直し、商業施設付きの駅ビルを建てる計画がある(この時にバリアフリー化工事もする)。しかし、2017年頃から計画はあるものの、その後長らく音沙汰が無く、着工が遅れてきた。ただ、2023年になってようやく、当駅ビル工事の着手と完成イメージが発表。2023年7月着工、2027年5月完成予定とされた。また、商業施設については、既に駅とは別に周辺の街の再開発で「shin⌂machi」というのが建っている。 追記: 2019年9月5日、当駅すぐ南の踏切で、トラックと快特が派手に衝突し、トラックが大破・炎上、快特も破損・脱線する事故が起こってしまった。架線柱も派手に倒された。ただ、当該の新1000形という車両が頑丈で潰れずに済み、先頭車両をモーター車にして重くすることで脱線しにくくした設計、救助隊員の活動や当駅の駅員の避難誘導が迅速だったなどで、被害を最小限に抑えることができた(死者はトラックの運転手のみ)。その後、京急の並々ならぬ努力でたった2日後の昼に復旧を果たしている。一方、「京急側の信号機がもっと手前に設置されていれば、ブレーキが間に合った」「踏切内の異常検知情報が京急のシステム全体に遠隔通信されていれば、信号機が見える前にでも緊急停止できた」などの指摘も出た。 京急本線(京浜急行電鉄の本線)は、泉岳寺駅と浦賀駅を、品川・横浜経由で結ぶ路線。但し、浅草線直通の為に延伸された泉岳寺~品川間は正式には支線で、本当の本線は品川~浦賀間。京急本線には他に、新馬場駅もある。JR線とほぼ競合しているが、互角に争える程の高速運転を行う快特が有名。その最高速度は120km/h。沿線民の輸送需要を第一に掲げている為、災害や事故などが起こっても他社のように長時間運休せずに行ける所まで列車を走らせ続けたり、快特や普通などの種別や行き先をしれっと変更してまで臨機応変に対応する独自のスタイルも、沿線の支持を得ている。これは俗に「逝っとけダイヤ」と呼ばれ、他の鉄道会社ではほぼあり得ない為、いい意味でカオスと好評。また、京急では2021年まで、ドレミファインバータという名物も活躍していた。 京急本線の歴史のうち、横浜(おおむね野毛山付近)以北と以南はそれぞれ異なるルーツを持つ。横浜以北の品川方面は主に、大師電気鉄道に始まる京浜電気鉄道(京浜電鉄)が建設した一方、野毛山より南側、日ノ出町以南の横須賀半島方面は、湘南電気鉄道(湘南電鉄)という別の会社が線路を建設した。 大師電気鉄道は元々1435mmの標準軌だったが、それが京浜電気鉄道と社名変更した上で品川~横浜間を結ぶメインルートを完成させる運びになると、品川以北で東京市電(後の都電)品川線と線路を繋げて都心直通する為、市電に合わせて馬車軌間に改軌した。市電との直通は実際に叶い、一時期は京急本線が高輪まで伸びた。一方、湘南電鉄は初めから標準軌で建設され、改軌は経験しなかった。湘南電鉄は当初、線路を建設する前に関東大震災に遭ったせいで経営危機に陥っていたが、元々横須賀半島への進出を画策していた京浜電鉄はこの湘南電鉄を上手く活かしたかった為、湘南電鉄に対して金銭的支援をし、湘南電鉄は無事線路建設にこぎつけた。そして、1931年には遂に、日ノ出町駅で両社の線路が出会った。 しかし、馬車軌間の京浜電鉄に対して湘南電鉄は標準軌だった為、そのままでは直通ができなかった。その為、標準軌へ統一し、両社に跨ってはるばる品川~浦賀間に直通電車を走らせるべく、まずは京浜電鉄側の横浜~日ノ出町間は初めから標準軌で建設された。2年後の1933年には、既に馬車軌間となっていた残りの横浜~品川間も一気に標準軌へ改軌され、両社の線路は標準軌に統一された。場所によっては、標準軌→馬車軌間→再び標準軌という風に、改軌を2度経験した区間もあった。また、これによって、馬車軌間の市電への直通ができなくなった為、市電直通と高輪駅は廃止され、代わりに国鉄(現・JR)品川駅にホームを作り、現在の京急本線の原形が出来た。 しかし1942年になると、京浜電鉄は大東急の一部として合併された。戦後の1948年には大東急が解散されたが、この時に旧・湘南電鉄だった部分と旧・京浜電鉄だった部分がまとまって現在の「京浜急行電鉄」となり、今に至る。 京急の歴史は長く、京急本線の途中には総持寺駅新宿駅などといった廃駅も多い。 ※京急の本社はここではなく、横浜の新高島駅近くにある。

▼関連写真 

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