北新・松本大学前駅
最終更新: 2022/04/01
▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
北新・松本大学前 | きたにい・まつもとだいがくまえ | | 長野県 |
開業*開業年クリックで、 同年開業の駅を検索 | 廃止 |
1921年 | - - - - 年 |
▼この駅を走る路線
▼備考
駅番号AK-07の、上高地線の駅。1921年に「北新駅」として開業したが、近くに松本大学が出来たのを受け、2002年に現駅名に改称された。初めは「松本電気鉄道」の駅だったが、この会社は他の会社と合併して、今は「アルピコ交通」の駅になっている。当駅の両隣には、新村駅と下新駅もある。
※社名は変わったが、上高地線は今でも「松本電鉄上高地線」とか「松本電鉄線」などと呼ばれる事がある。上高地線は、松本駅と新島々駅を結ぶ。
当駅が2002年に現駅名へと改称された時、当駅名には中黒(「・」の記号)が付く事になった。元々駅名に中黒を使うのは非常に稀なケースで、当駅が改称した2002年当時も、JRでは吾妻線の「万座・鹿沢口駅」のみ、私鉄を含めても日本に数ヶ所しか無かった。しかし、この頃はちょうど、全国的に中黒駅名が増え始めた時期でもあった(後述)。
(記録に残る範囲で)日本初の中黒駅名は、1947~1951年にかけて近鉄奈良線に存在した臨時駅「キャンプ・カー駅」だったと思われる。恐らく、英語をカタカナ化する時の中黒だった。それはその後すぐ廃止されたが、1971年には「万座・鹿沢口駅」(まんざ・かざわぐちえき)が開業し、常設駅としては日本初(全体でも2例目)の中黒駅名となった。その駅名は、新函館北斗よろしく、駅名論争の末妥協によって生まれた駅名だった。万座温泉・鹿沢温泉という2つの温泉が駅名に自分の温泉名を入れようとし、両者譲らなかったためそうなったという。その後、1973年に泉北高速鉄道が延伸して生まれた「栂・美木多駅」(とが・みきたえき)が全国3例目で、これも同様に栂派と美木多派による論争・妥協によって生まれた。これら2つが(常設駅における)初期の事例で、いずれも新駅開業によるものだった。
その後、新駅開業ではなく既存の駅名を改称する事によって中黒を付ける事例が出始めた。その初の事例と思われるのが、1992年の改称によって生まれた、名鉄瀬戸線の「大森・金城学院前駅」(おおもり・きんじょうがくいんまええき)。これは恐らく全国4例目の中黒駅名で、中黒をカウントすれば読み仮名字数で名鉄最長の駅名でもあった。英語でも妥協でもなく、純粋に日本語駅名として意図的に中黒を追加した初の事例とも思われる。
それでも依然として中黒駅名は稀有なものだったが、2000年代に入ると、周辺施設名(特に学校名)を追加したり、複数を公平に列挙する方法として急増した。2000年の多摩都市モノレール多摩センター方面延伸では「中央大学・明星大学駅」「大塚・帝京大学駅」が、2001年の改称では初期の日本最長駅名として知られた「ルイス・C.ティファニー庭園美術館前駅」が、同年の神戸市営地下鉄海岸線開通では「三宮・花時計前駅」「旧居留地・大丸前駅」が誕生。それらに続いたのが、当駅だった。その後も中黒駅名の増加傾向は続き、2004年のみなとみらい線開通で誕生した「元町・中華街駅」、2005年に改称した名鉄犬山線の「徳重・名古屋芸大駅」、万博閉幕後の2006年に改称したリニモの「愛・地球博記念公園駅」、(正式駅名ではなく案内上のみではあるが)2008年開業のJR山陽本線「西川原・就実駅」…と続いていく。今や当たり前のように「逗子・葉山駅」や「等持院・(略)駅」が誕生し、気仙沼線BRTにも「南三陸町役場・病院前駅」が生まれ、もはや鉄道各社は駅名に中黒を付ける事に抵抗を感じなくなったと思われる。 ▼関連写真