新がつく駅地図手帖

新治駅


最終更新: 2023/07/06

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
立地*立地名クリックで、
その立地を検索
新治にいはり茨城県
開業*開業年クリックで、
同年開業の駅を検索
廃止
1895年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
その会社を検索
路線*路線名クリックで、
その路線を検索
種別*種別名クリックで、
その種別を検索
JR東日本水戸線普通鉄道

▼備考 

水戸線の駅。当初は日本鉄道の駅として開業したが、1906年に日本鉄道が国有化されたため、その後は国鉄の駅となり、今はJR東日本の駅となっている。 この駅名は地名からだが、周辺の地名の変遷や分類が複雑で、具体的にどの地名なのかは曖昧。開業当時、ここは茨城県の「新治郡」の「新治村」という村だったという(その村はその後、協和村→協和町→筑西市の一部になったが、現・かすみがうら市や土浦市にも「新治村」という同名の村が昔あり、紛らわしい)。当駅開業前、というか茨城県が現在の形に落ち着く前、「新治県」という県もあった(県庁所在地は土浦だった)。更に昔、古事記の時代には既に「新治」の地名はあったという。 水戸線は、栃木県の小山駅と茨城県の友部駅を東西に結ぶ路線。一部列車は、友部から先の常磐線の水戸駅の方まで直通する。元々は水戸鉄道という私鉄が1889年に小山~水戸駅間の路線を建設したのが始まりだったが、後の1892年に水戸鉄道が前述の日本鉄道に買収され、1895年には線内に当駅や友部駅も出来た。水戸鉄道は買収される前から日本鉄道と同じ人が社長を担当していて、元から事実上の日本鉄道の一部のような存在だったため、買収は必然でもあった。国有化後の1909年には「水戸線」「常磐線」などの路線名が制定されたが、この時、元々水戸鉄道の区間だった友部~水戸間の線路が常磐線の一部として組み込まれ、残りが「水戸線」となった。小山~友部間という水戸駅を含まない範囲にも拘らず「水戸線」という路線名が付けられたのは、水戸線の線路が水戸鉄道に始まったという歴史的経緯からで、実際に現在も水戸方面との繋がりが強い。 当駅西隣の下館駅は水戸線の中でも主要な途中駅で、真岡鐵道関鉄常総線などが乗り入れる。東に2つ隣の岩瀬駅からはかつて、筑波鉄道が分岐していた(筑波鉄道には新土浦駅もあった)。

▼関連写真 

222-1.jpg

当駅に到着するところ。水戸線は基本単線だがここで3本に分かれる(当駅は3番線まである)【撮影日:2017/03/17】

222-2.jpg

新治駅2・3番線ホームと駅名標。ホームに木が植わっている。駅名標の後ろに写るのは駅舎。奥の電車は、2番線を発車する普通小山行き(水戸線には基本、普通列車しか無い)。【撮影日:2017/03/17】

222-3.jpg

新治駅に到着する、普通小山行き。この車両はE501系という。「イーごおまるいちけい」という読みから、「ゴマイチ」というあだ名で呼ばれる事もある。元々は常磐線のために作られた車両で、当時京浜東北線で使われていた209系を元に設計されたという。そのため、見た目が209系にとても似ている。2007年以降、水戸線ではこの車両がメインで使われてきた(注: 2018年12月現在は走っていない。追記参照)。 ※この他に、E531系も走る。【撮影日:2017/03/17】 追記: 分かりやすいE501系紹介動画があった。それによると、この車両はかつて常磐線の主力車両とすべく、都心方面の直流電化区間(上野〜取手間)、取手以北の交流電化区間(取手〜土浦間)両方に対応できるように開発され、そこで走り始めたが、色々問題が出て、水戸線に左遷されたという。水戸線は常磐線同様、地磁気観測所のための交流区間があり、左遷先に選ばれたよう。しかし、その後小山駅手前のデッドセクションで故障が相次ぎ、2018年9月以降、水戸線からも姿を消している。その分は、常磐線の土浦〜水戸〜いわき間(主に茨城県北地域)の運用に回され、場所は違えど、ある意味元の路線に還った。この写真はまだ水戸線にE501系がいた頃。 ところで、この車両は当初、ドレミファインバータ搭載だったよう。

222-4.jpg

2・3番線ホームの島と、駅舎直結の1番線ホームは離れていて、この跨線橋で連絡している。屋根が無いため、雨の日は傘が要る。※この写真は、2番線から友部・水戸方面を向いたもの。この跨線橋はさっきの写真の奥にも写っている【撮影日:2017/03/17】

222-5.jpg

跨線橋の上から、友部・水戸方面(東方向)を眺める【撮影日:2017/03/17】

222-6.jpg

跨線橋の上から、下館・小山方面(西方向)を眺める。写真左下が2・3番線ホームの島。右の片面ホームが1番線。写真正面の建物が、新治駅舎。【撮影日:2017/03/17】

222-7.jpg

跨線橋から、駅の南側を眺めると、筑波山がよく見える。南側から見た筑波山は見慣れていたが、これは北側から見たもの(左が女体山頂)で、新鮮だった【撮影日:2017/03/17】

222-8.jpg

1番線(駅舎側)から、2・3番線ホームを見る。左端に、田舎の駅にはありがちな、「名所案内」の看板が見える。上から「高田専修寺指定史跡親鸞聖人開基」「新治廃寺跡」「新治郡衙跡」と書いてあり、下2つは地図でも簡単に確認できる(駅の北の方にある)。しかし、高田専修寺というのは10kmも離れていて、載せるには無理がある気もする。※「名所案内」案内の情報を参考にさせていただきました。

222-9.jpg

新治駅舎と、駅前ロータリー。謎のオブジェがある。写真左奥には、さっきの跨線橋も見える。【撮影日:2017/03/17】 追記:この駅舎は老朽化の為2020年秋から建て替え工事が始まり、2021年3月6日には新駅舎(PDF)に生まれ変わった。建て替え前のこの写真の駅舎には駅員室もあり、そこそこ大きな建物だったが、2020年10月には当駅の駅員も廃止され、下館駅の管理する無人駅となった。工事時には、まず旧駅舎の駅員室のあった写真右側の部分が壊され、その跡地に新駅舎が建った。ただ、新駅舎のデビュー直前まで旧駅舎の入口部分である左側が使われ続けた為、旧駅舎の左側残存部分と新駅舎が隣り合う奇妙な光景が見られた。旧駅舎の残った部分はその後、入れ替わるようにして壊される。無人駅化後の新駅舎には当然駅員室も無いので、コンパクトな駅舎になった。新駅舎の形は、当駅からよく見える筑波山の形をイメージしたらしい。

222-10.jpg

改札の外、駅舎の西の方に離れのトイレがあった。【撮影日:2017/03/17】

222-11.jpg

駅前の街並み。付近はどちらかと言うと「新治」よりも「協和」という地名の方が浸透している印象だった。近くの郵便局も「協和郵便局」、スーパーなども「協和店」を名乗っていた。2005年の平成の大合併で筑西市になるまでは、ここは「真壁郡協和町」(まかべぐんきょうわまち)として知られていたからだろう。筑西市は、下館市と真壁郡の3つの町、協和町・関城町(せきじょうまち)・明野町(あけのまち)が合併して誕生した。【撮影日:2017/03/17】

222-12.jpg

新治駅舎の中を、ホーム側を向いて撮影。列車の本数が少なかったので、この後左の白い椅子に座った。改札口は、簡易Suica改札機だった。また、当駅にはみどりの窓口があることが分かる(写真右端)。【撮影日:2017/03/17】 ※当駅のみどりの窓口は、2018年3月に廃止されている。

222-13.jpg

新治駅発着の、水戸線の時刻表。1時間に1~2本。1日に数本しか来ない路線もあるのでそれよりは多いが、撮影者は中央・総武線(5~15分に1本)に慣れてるので少なく感じてしまう【撮影日:2017/03/17】

222-14.jpg

駅舎の中に掲示されていた路線図。ここ(新治)からの運賃が天王台(千葉)と三河島(東京)で両方1660円なのは意外だった【撮影日:2017/03/17】

222-15.jpg

ちなみに、水戸線にはE501系の他に、たまにE531系も走る。この写真は、小山駅の水戸線ホームに停車する勝田行きのE531系で、水戸線全線と、その先の友部~水戸~勝田の常磐線まで直通するもの。この車両は常磐線の中距離列車としてのイメージの方が強いので、水戸線どころか、東北本線も走る小山駅でこの車両を見ることになるとは、と若干驚いた。この車両が水戸線を走り始めたのは2015年だという(最近)。【撮影日:2017/03/22】 ※上記追記にもあるように、今の水戸線はE531系のみが走る。

222-16.jpg

ところで、かつて岩瀬駅で水戸線と接続していた筑波鉄道の岩瀬駅ホーム跡の敷地は、つくばりんりんロード関係の休憩所になっていた。【撮影日:2017/03/17】

222-17.jpg

ついでに、下館駅から見えた関東鉄道常総線の車両・ホームの写真も。関鉄の駅舎の壁に「取手・水海道・下妻方面 のりば」とある(常総線には新守谷駅とかもある)。【撮影日:2017/03/17】

 17件の関連写真。
写真を追加 / ギャラリー