新がつく駅地図手帖

たけふ新駅


最終更新: 2024/07/05

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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たけふ新たけふしん武生福井県
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廃止
1924年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

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福井鉄道福武線(フェニックス田原町ライン)(F)普通鉄道
えちぜん鉄道[直通]三国芦原線(フェニックス田原町ライン)(E)普通鉄道

▼備考 

駅番号F0の、福井鉄道(福鉄)福武線(ふくぶせん)の駅。当初は「武生新駅」(たけふしんえき)の駅名だったが、後に「越前武生駅」、更に「たけふ新駅」へと駅名が変遷した(その経緯は後述)。当初の旧称及び現駅名は「武生+新」という意味合いの為、南の方にある国鉄/JRの武生駅を新抜き駅とした。武生駅・当駅共に、越前市の玄関口。ただ、両駅は隣接しておらず、間にアル・プラザ武生という商業施設を挟んでいる為、乗り換え時間には余裕が要る。 ※武生駅は長らくJRの駅だったが、後述の新幹線延伸時にハピラインふくいの駅となった。 1924年の開業以来長らく「武生新駅」を名乗っていた当駅は、珍しい駅名として地元民や鉄道愛好家に好まれていた。しかし、2010年になると突如「越前武生駅」(えちぜんたけふえき)に改称され、その珍駅名は一旦はこの世から消えてしまった。その遠因は、立地市町村の合併だった。周辺の市街地の名前は「武生」で、かつての市名も「武生市」だったが、これが2005年の平成の大合併によって隣接する今立町(いまだてちょう)と合併し、越前市が誕生した。当駅はその後も暫くは珍駅名を名乗り続けたが、「合併後の新市名『越前』を駅名にも入れよう」という話が出て、2010年になってそれが実行され、改称されたという。この時、同路線にあるもう1つの珍駅名である「福井新駅」も同時に改称されてしまい、消滅。 その後、2010年の改称から年数が経つにつれ、徐々に「越前武生」という新駅名も浸透しつつあった。しかし、2021年5月になると再び、当駅名は岐路に立たされた。その原因は、後に出来た北陸新幹線の新駅。その新幹線駅は当駅から見て東南東の方、村国山の向かいの水田地帯に出来る新幹線単独の途中駅で、北陸新幹線の敦賀延伸時に新設されたものだが、当初は長らく「南越駅」の仮称で呼ばれてきた。しかし、その正式名が、改称後の当駅名と全く同じ読みの「越前たけふ駅」に決まってしまった。一応は「たけふ」を平仮名表記にして当駅名との完全重複を防いだものと思われるが、それでも音声上被るので、当駅は「越前武生駅」の名を捨てざるを得なくなった。それを受け、当駅は更に別の駅名へと再改称予定とされた。 後の2021年10月には、再改称の方法として福鉄公式から福鉄利用者による投票が告知された。これは11月まで実施され、福鉄利用者のみが回答できた。選択肢は、当初の旧称(武生新)へと戻すものを含めて計5つが示されたが、「武生」を漢字書きするものはその旧称以外に用意されなかった。その後、投票結果が12月24日に発表されたが、まさかの選択肢には無かった平仮名表記の「たけふ新駅」が新駅名として選ばれた。「武生新駅」という旧称は地元で根強い愛着があり、旧称案が最多票だったものの、越前市は「武生」の漢字表記を難読としており、かつ新幹線駅の平仮名表記に合わせて分かりやすくしたい意図もあったようで、こうなったらしい。わざわざ平仮名にして選択肢に無かった駅名が発表された為、「『武生』という漢字表記が忘れられてしまう」「大して難読でもないのに何でもかんでも平仮名にしないでほしい」との意見も出た。ともあれ、「新」で終わる珍駅名が無事復活する事になった。その後、2023年2月25日には実際に改称され、今に至る。 ※但し、今でこそ「新」で終わる駅名は珍しいが、昔は他にもそれなりにあった。こうした接尾辞式の「新」は北陸地方でよく見られ、漢字の本家中国語でもその方が自然という。 福武線は一部が路面電車の為、路面電車用の低床な車両(FUKURAMなど)が走る。かつては普通鉄道用の床の高い大型車両(200形など)がメインで使われ、大型車両が路面区間に直通する光景が名物だったが、2006年の福武線LRT化により、今では低床な車両の方がメインになっている。低床車両の中には、かつて名鉄美濃町線を走っていたものもある。また、2016年からは、えちぜん鉄道三国芦原線がここまで直通して来るようになり、直通運転区間やその担当列車には「フェニックス田原町ライン」の名が付いた。 当駅北隣の北府駅(きたごえき)には歴史的な駅舎があり、その中には福武線の鉄道ミュージアム(展示室)も出来ている。このミュージアムを北府駅周辺の敷地へと拡張し、引退が決まってしまった200形の保存展示や、公園を整備する計画も進む。北府駅は、当駅が「武生新駅」を名乗っていた頃は「西武生駅」と言ったが、当駅の2010年の改称時に同時に改称された。 ※1981年以前は、地下道経由で当駅から福井鉄道南越線の福武口駅へと乗り換えができたという。南越線には社武生駅や岡本新駅もあったが、紛らわしい事に、社武生駅は当初「新武生駅」を名乗っていた。元々は当駅も「新武生駅」と命名しようとしたが、この同名の新武生駅が当駅よりも古くからあった事から、「新」の位置を最後に持って来たらしい。 ※越前市とは別に、北西の方には「越前町」(えちぜんちょう)という町もある。同じ名前を名乗る市町村が隣り合うという稀有な例で、紛らわしい。更に、南側では「南越前町」とも隣接している。いずれも元は「越前国」(えちぜんのくに)という現・福井県東側の旧国名から取った為、本来広い地域を指すはずの地名をごく一部の地名として使う点で、広域地名(俗に、僭称地名)だとも言われる(那須の例も似ている)。また、たまたま同名の市町村が国内に複数存在する事自体はそこまで珍しくないものの、同一地域を示す同名が隣り合っているという事例は、他になかなか無い。他の事例として、釧路市と釧路町、四万十市と四万十町がある。

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