▼この駅について
駅名 | 読み | 新抜き駅 | 立地*立地名クリックで、 その立地を検索 |
新日本橋 | しんにほんばし | 日本橋 | 東京都 |
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1972年 | - - - - 年 |
▼この駅を走る路線
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JR東日本 | ■総武本線(横須賀・総武快速線)(JO) | 普通鉄道 |
▼備考
▼関連写真
地下水が多いトンネルのため、いつもどこかでチロチロと水の流れる音がしていた。そして、ホーム向かいの壁には、地下水を排水するための導水管である青いパイプが。【撮影日:2017/04/10】 このトンネルが建設された1970年代当時は、都内で地下水の汲み上げが過剰に行われていた名残で地下水位が低かったため、トンネル内での地下水問題は殆ど起こっていなかった。元々、過剰な地下水汲み上げによる地盤沈下で海抜ゼロメートル地帯が発生するなどの問題が起きていたため、1960年代には条例や法律で地下水汲み上げが規制されるようになった。その結果、周辺地域の地盤沈下は止まったが、それにより地下水位が回復し、このトンネルが地下水に浸かってしまった事で、今度はトンネル内に地下水が染み出すという問題が発生した。JRの時代になるとこれはより深刻になり、常に大量に出続ける地下水をトンネル内から排水し続ける必要が出て、JR東日本は排水先や排水費用に悩んだ。そんな時、はるばる10km以上南へ離れた「立会川が水源不足による水質汚染に悩まされているため、この地下水を立会川へ流せばどうか」との提案が都から出され、実際にそのための導水管が2002年に設置、上手い事Win-Winな解決となった。これこそがこの青いパイプの正体で、このトンネルから立会川へはるばる地下水を送り続けている。 この導水管による排水は常に稼働しているが、過去には導水管の繋がるポンプが土砂で詰まって排水が止まってしまい、線路が水没したトラブルもある。また、海が近いためか地下水にも塩分が含まれ、鉄の腐食が早い事からロングレールが使えず、トンネル内では今でも定尺レールが使われている。道理で、総武トンネル内はやたらとガタンゴトンが響く。 ところで、パイプの下に「停車場中心」と書かれた標がある。駅と駅の間の距離や、路線の起点から駅までの距離を測る時、ここを駅の場所の基準として測るという。距離はkm単位(普通は0.1km単位の精度)で表され、「営業キロ」と呼ばれる。運賃は営業キロで決められる事が多い。
総武本線の特急が新日本橋駅をよく通過するが、停まることはない。すぐ隣が東京駅な上、ここは古く小さな駅。この日はViewを見た【撮影日:2017/04/10】
千葉方面へ向けて当駅を発車する、総武快速のE217系。ここにやってくる列車は基本、総武快速のみ。この後、左に写っている階段で、ホームを出る。階段の上がすぐ改札と思いきや…【撮影日:2017/04/10】
たどり着いたのは何もない中間階。これは、隣の東京駅も似ているが、何故か何もない中間階が存在し、そこから更に上らないと改札まで行けないほど深い所にホームがある。大深度地下という方式の深いトンネルらしく、それも国内で初期のものらしい。 ここから更に上の、中間階~改札階の間がとても深く長いので、奥にあるエスカレーターで上る。しかし、ホーム~ここまでは、階段しか無い。これが辛ければ、ホームからこの中間階をすっ飛ばして一気に改札階まで上れるエレベーターも一応ある。【撮影日:2017/04/10】 ※大深度地下とは、普通の民間人が普段使う事の無い程のとても深い地下を公共用に開発してもよいとする決まり。この概念が導入される前は、例えば誰かの土地があったとして、その所有権が上空や地下ではどこまで及ぶかが曖昧だったため、真下で地下工事をしようとしても、真上の土地所有者がその地下の所有を主張すればどんなに深くても迂回せざるを得ず、厄介だった。これを避けるため、地下40m以上の深い地中(深い杭がある場合は杭の達する地中の地盤から10m以上の深い地中)には真上の土地所有者の権利が及ばないとする決まりが出来た。これで、深い地下を公共空間として安心して開発できるようになった。主に、地上から40m以上の深いトンネルの工事でよく見かける言葉。 ※ただ、地質を無視して深さだけを考慮したこの方式は、2020年に調布で起こった外環道トンネルの陥没事故により、採用しづらい方式になりつつある。つまり、単に深ければいいという問題ではない。今後の時代は、地質も考慮に入れた新たな方式の制定が必要かもしれない。
エスカレーターから中間階を見下ろす。深く長い。これが全部階段だったら気が滅入る。節電のためか、真ん中のエスカレーターは停止していた。元々人が少なく、ひっそりしているから無理もない【撮影日:2017/04/10】
改札階から下る、謎の階段があった。金属の柵で塞がれ、関係者以外立入禁止。その先に見える扉は、中間階と改札階の間にある謎の階。とっても探検したい。これはおそらく避難用階段と思われ、緊急時には中間階のエスカレーターの右奥に見える扉やホームからここへと上がって来れるものと思われる。【撮影日:2017/04/10】
反対側、皇居の方向。この先へ行くと、東京メトロの三越前駅と地下通路のまま繋がっている。 左に見えるのは当駅の切符売り場【撮影日:2017/04/10】
改札前通路には、新日本橋駅周辺の地図があった。番号が振られた出口案内も載っている。この辺りも地下鉄駅っぽい。 ちなみに、画質が追いついてないが、当駅の左下の出口2箇所が「閉鎖中」とある。これは撮影時、出口のあったビルの取り壊しと周辺の再開発が行われていたため。出口のあったビルは今、「OVOL日本橋ビル」へと建て替わっている。また、道路を挟んですぐ西隣にはCOREDO室町テラスも建てられ、周辺では一気に再開発が進んだ。【撮影日:2017/04/10】
改札前通路を皇居側にうんと歩くと、突き当たりで左に曲がる。突き当たりのJR東日本なんとかセンター(写真右)はシャッターが下りていた。ここは、ちょうど「室町三丁目」交差点の真下。写真左奥が、東京メトロ銀座線と半蔵門線の三越前駅。ここからだと、銀座線のホームが近い。【撮影日:2017/04/10】 追記: この「なんとかセンター」は「JR東日本東京提携販売センター」と言い、びゅうプラザの法人専用窓口だったらしいが、ここのは今、閉店している。また、2022年2月28日にはびゅうプラザ自体が滅んでしまった。びゅうプラザは民間人向け、この窓口は法人向けで旅行商品(ツアーなど)を販売していたというが、これらは生で人が対面していた一方、最近の電子化・オンライン化の風潮と共にえきねっとの方が重要になってきたため、びゅうプラザを廃止したという。代わりに、生で人が対面する場としては「駅たびコンシェルジュ」に置き換えるらしい。サービス名の固有名詞だらけでよく分からん…
三越前駅側の出口から出ると、目の前に大きなビルが現れた。日本橋三井タワーという。このビルのすぐ隣に、新しいビルが再開発で建てられている(写真だと右手前側で、見切れている)【撮影日:2017/04/10】
今度は、改札前通路をさっきと逆に(千葉県方向に)進む。写真は、6番出口の階段。看板がめちゃでかい(目が悪くても見える)。写真右奥には、8番出口と5番出口もある。この通路の長さを感じる。炎天下でも離れた所まで地下を進める。 実は撮影時、この改札階から地上へ上がるには階段しかなく、エレベーターもエスカレーターもなかった。三越前まで入っちゃえば違うかもしれない。また、再開発で新調される出口も便利になるかもしれない。天井にはパイプが張り巡らされ、タイルは昭和式で、ブロック塀みたいなブロックもむき出し。その点も、時代から取り残されたような感じがする。個人的には昭和の無骨なコンクリ建築は好き【撮影日:2017/04/10】