新がつく駅地図手帖

犬島新町駅


最終更新: 2023/07/04

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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犬島新町いぬじましんまち富山県
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廃止
2006年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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路線*路線名クリックで、
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種別*種別名クリックで、
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富山地方鉄道富山市内軌道線(富山軌道線)富山港線(4系統)路面電車
富山地方鉄道富山市内軌道線(富山軌道線)富山港線(5系統)路面電車
富山地方鉄道富山市内軌道線(富山軌道線)富山港線(6系統)路面電車

▼備考 

駅番号C34の、富山港線の駅。 富山港線は、富山駅前から北へ伸び、岩瀬浜駅まで続くライトレール線(LRT、次世代型路面電車)。2006年までは、JR西日本が運営する本数の少ない普通鉄道だったが、利便性を向上させる目的で列車の本数・駅数を増やし、一部が路面電車化された「富山ライトレール」として生まれ変わった。その時、日本初の本格LRT路線として脚光を浴びた。「ポートラム」の愛称を持つ、低床の車両などが走る。奥田中学校前駅以南は道路を走る併用軌道、以北が専用軌道で、当駅も専用軌道区間にある。奥田中学校前以南の線路はLRT化前、道路とは別のルートを通る普通鉄道で、富山口駅を経由していたが、その区間は廃止されている。その廃線跡は今でもなんとなく道路の形で追う事ができる。 富山ライトレールとして生まれ変わった後は長らく富山ライトレール(株)が運営していたが、富山駅の南側に広がる、富山地方鉄道(地鉄)運営の富山軌道線と線路を繋げ(富山駅路面電車南北接続)、2020年3月からの相互直通運転開始の為に、富山ライトレールは地鉄に吸収合併された。その為、今は地鉄運営の「富山港線」となっていて、直通により富山軌道線の一部のような存在になっている。 2006年(富山ライトレール時代)には、日本では珍しい信用乗車方式(富山港線では「信用降車」と呼んでいた)を先駆けて導入し、成功していたが、相互直通先の富山軌道線がこれを未導入な為、もし直通後も信用降車を続けると導入車と未導入車の混在などで混乱の元になるとして、直通開始後にやむなく廃止され、今はやっていない。今後復活するかは不明。 ※近年は路面電車の価値が見直され、次世代型の改良された路面電車として、ライトレール(LRT)というものが提唱されている。宇都宮ライトレールなど新設事例もある。 ※富山港線の国鉄時代は主に貨物重視の路線で、沿線の工場への貨物支線もいくつか分岐していた。当駅の場所からも、南東へ分岐して北陸本線(現・あいの風とやま鉄道)へと繋がる北陸本線貨物支線が出ていた。この支線は、北陸本線内の富山操車場(現・富山貨物駅)へと繋がっていた。これら貨物支線群は今や全て廃線だが、例えば当駅南東へ伸びる廃線跡などは今でも地図上で追える。 ※富山貨物駅近くには、2022年に新富山口駅という新駅が開業した。 ※富山港線の歴史は山口~瀬浜間を結んだ私鉄の富岩鉄道(ふがんてつどう)に始まり、その後富山電気鉄道(後の富山地方鉄道)、国鉄、JR西日本、富山ライトレールと運営会社が変遷した。つまり、地鉄の路線だった所を戦時中に国有化され国鉄となり、その後長い時を経て最終的に再び地鉄の元へ返って来た事になる。2020年現在、戦時買収私鉄路線がその後元の私鉄へ返還された例としては、この富山港線が最初で唯一の例。戦時中の1943~1944年の間、日本政府は戦争の為に多くの私鉄路線を強制的に買収・国有化した。これによって、例えば南武鉄道が南武線、宮城電気鉄道が仙石線、伊那電気鉄道が飯田線、相模鉄道が相模線、宇部鉄道が宇部線、鶴見臨港鉄道が鶴見線、他に阪和線など、多くの私鉄路線が強制的に国鉄路線化。それらのうち、元の私鉄へ返ったのが富山港線たった1つというのが虚しい。長い時間を経て完全に国鉄・JR色に染まってしまった路線が多く、今更戻してもJR側にも私鉄側にもあまり利益が見出せない為と思われる(むしろ今更私鉄として分離独立されると運賃体系や設備の統一も失われてかえって不便になる事も考えられる)。また、そもそも元の私鉄会社が解散して存在しないケースも多い。

▼関連写真 

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