新がつく駅地図手帖

新尾頭駅(旧称・廃駅)


最終更新: 2021/04/23

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新尾頭(旧称・廃駅)しんおとう愛知県
開業*開業年クリックで、
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1913年1971年

▼この駅を走っていた路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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種別*種別名クリックで、
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名古屋市交通局名古屋市電下之一色線(70系統)×路面電車
名古屋市交通局名古屋市電下江川線(10系統)×路面電車
名古屋市交通局名古屋市電下江川線(50系統)×路面電車
名古屋市交通局名古屋市電下江川線(80系統)×路面電車

▼備考 

付近を南北に伸びる道路には既に1912年から、名古屋電気鉄道の敷いた「江川線」の尾頭橋電停があった。「尾頭橋」は、ここから東の方で堀川に架かっている橋の名前。 翌年の1913年になると、この場所から西へ、下之一色電車軌道の線路(下之一色方面)が開通した。この時、当電停は下之一色電車軌道線の起点として、「新尾頭」電停の名で開業した。この頃はあくまで、南北を走る名古屋電気鉄道江川線と、ここから西へ伸びる下之一色電車軌道線は別会社による別路線で、各電停も別々だった。ただ、徒歩による乗り換えはできた。江川線は後に、「下江川線」と名乗った。 しかし、時代が進んで1922年になると、まず下江川線が名古屋市に買収され、名古屋市電下江川線となる。続いて1937年には、当電停のある下之一色電車軌道線も名古屋市に買収され、同じく名古屋市電の下之一色線となる。当時、私鉄が営業する路面電車に対して、高運賃などに対する民衆の不満があったため、路面電車市営化の議論が巻き起こっていたという。 改称時期ははっきりしないが、少なくとも1937年の買収時にはここは下江川線の電停と同名の「尾頭橋」電停に改称され、下江川線側の電停と統合された。こうしてここは、名古屋市電の下江川線(南北方向)と下之一色線(西方向)の分岐電停となった。その後長らくここは、名古屋市電の電停として続いた。 下江川線が名古屋市に買収されて間もない1923年時点(と思われる)路線図を見ると、まだ下之一色電車軌道線は名古屋市に買収されておらず、あくまで別路線の「一色行電車」と書かれている。そして、当電停もあくまで名古屋市電の尾頭橋電停とは別の電停として描かれている。また、「稲永行電車」の表記も見られる。 下之一色線はここから道路に沿って西へ進み、名古屋港線(貨物線)・東海道新幹線(1964年以降)をくぐり、長良橋を渡り、近鉄名古屋線の烏森駅(かすもりえき)手前(現・名古屋長良郵便局の近く)で道路を外れて南西へ向きを変え、国鉄の西名古屋港線(現・あおなみ線)の線路と平面交差し、下之一色電停まで伸びていた。南西へ向きを変えるまでは道路上の併用軌道だったが、向きを変えた後は専用軌道へ入った。専用軌道沿線は、今は市街地化されているが、当時は田園地帯だった。その専用軌道は、今のあおなみ線荒子駅の近くで平面交差していた。終点の下之一色電停から見て、下之一色町の市街地は庄内川を挟んだ西側の対岸にあったが、庄内川を渡る橋は資金不足のため架けないルートとなった。 下之一色電停から更に南へは、稲永町・築地口方面の名古屋市電築地線と線路が繋がっていた。そのため、主に下之一色線を走った70系統は築地線へと直通し、尾頭橋(ここ)~下之一色~稲永町~築地口間をはるばるC字状に走る系統となっていた。 下之一色線の専用軌道部分は田園地帯を走り、朝晩を除いて客が少なかったため、客の少ない合間に各種鉄道技術の試験に使われる事もあったという。 例えば1954年には、70系統で日本初の路面電車でのワンマン運転が行われた。まず試験的に行われ、その後正式に導入された。元々路面電車には運転手の他に車掌が乗るのが当たり前だったが、名古屋市電でのこの例を皮切りに、路面電車のワンマン化は全国へ広まった。都電も、荒川線として生まれ変わった後にワンマン化が行われている。 更に1956年には、名古屋初の地下鉄(地下鉄1号線、後の東山線)開通に備えて、地下鉄車両の試験走行が下之一色線の一部を使って行われた。ただ、1067mmの狭軌だった下之一色線に対し、地下鉄は1435mmの標準軌のため、試験期間だけ一時的に3本目のレールを敷いて三線軌条とし、更に、地下鉄はサードレール方式での開業予定だったため、集電用のサードレールも設置して試験した。試験走行の翌年には、実際に地下鉄の名古屋~栄町駅(現・栄駅)間が開業している。 1950年代末期~1960年代になると、道路上は車であふれ、徐々に路面電車の時代は終わり、地下鉄の時代が始まりつつあった。そのため、下之一色線も時代に飲まれるようにして1969年に廃止され、当電停は下江川線のみの電停となった。1971年には、下江川線の部分廃止で遂にこの電停自体も廃止され、1974年には、名古屋市電の残った部分も全廃された。 ※名古屋市電には他に、新尾頭町電停というのもあったが、別電停。また、紛らわしいが、かつて新尾頭町電停のあった交差点には現在、「新尾頭交差点」という名前が付いている。一方、当電停のあったここの交差点は当然ながら、「尾頭橋交差点」を名乗っている。 ※名古屋市電とは直接の関係は無いが、今は近くの名鉄名古屋本線にも尾頭橋駅がある。 ※「下之一色」の読みは、社名・路線名としての下之一色電車軌道・下之一色線では「しものいしき」と読むらしいが、地名としては「しものいしき」と読むらしい。この読みのブレの全貌や原因についての情報は2021年現在、ネットには見つからない。

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