新がつく駅地図手帖

新日暮里駅(仮称)


最終更新: 2021/05/31

▼この駅について 

駅名読み新抜き駅
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新日暮里(仮称)しんにっぽり日暮里東京都
開業*開業年クリックで、
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廃止
1969年- - - - 年

▼この駅を走る路線 

運営会社*虫眼鏡クリックで、
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路線*路線名クリックで、
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種別*種別名クリックで、
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JR東日本山手線(JY)普通鉄道
JR東日本東北本線(京浜東北線)(京浜東北・根岸線)(JK)普通鉄道
東京地下鉄(東京メトロ)千代田線(C)地下鉄
東京都交通局日暮里・舎人ライナー(NT)新交通システム
JR東日本[直通]常磐線(常磐緩行線)(JL)普通鉄道
小田急電鉄[直通]小田原線(OH)普通鉄道

▼備考 

西日暮里駅には、開業までの間「新日暮里駅」という仮称が付けられていた。「新日暮里駅」の記載は、国鉄による1966年度の年次報告書(運輸白書)に見られる。 当駅は、営団地下鉄(現・東京メトロ)千代田線と国鉄(現・JR)の乗換駅として開業した。千代田線の建設時、国鉄との乗換駅を日暮里駅にする案もあったというが、千代田線を既存の日暮里駅の地下に通そうとすると工事費がかさむため、道灌山通り(どうかんやまどおり)の地下に千代田線を通す事になった。ただ、そうすると日暮里駅からやや離れてしまうため、乗り換えのために当駅を新設する事になった。その後、当駅の千代田線ホームは1969年、国鉄ホームは1971年に開業し、実際に乗換駅となった。 山手線全体としては後発の駅だったため、当駅は長らく駅スタンプなどで「山手線で一番新しい駅」を謳っていた。しかし、2020年に高輪ゲートウェイ駅が誕生した事で、今は山手線で2番目に新しい駅となっている。新しさで抜かれた時、当駅の駅スタンプが「先日まで山手線で一番新しい駅でした」という自虐ネタに走ったため話題になったが、その後そのスタンプは変更されてしまっているという。 2008年開業の日暮里・舎人ライナーの駅には駅番号NT02が、千代田線には駅番号C16が付いている。この辺りは山手線や京浜東北線、宇都宮線など多くの路線の線路が並んでいて、隣の日暮里駅辺りでは、日本一線路が多い五複線となっている(新幹線・京成線も含めると、14本の七複線)。 京浜東北線は、新子安駅新橋駅・当駅を通って、さいたま新都心駅・大宮駅の方まで続く運転系統。京浜東北線で東北に行く事はできないが、東京駅以北の京浜東北線が走る線路はあくまで東北本線のものなので、系統名に「東北」が入っている。並んで走る宇都宮線も実は東北本線の線路だが、こちらは快速の役割を果たし、当駅を通過する(当駅に宇都宮線のホームは無い)。宇都宮線が走る方の東北本線は、田端駅を経由しない代わりに、尾久駅(おくえき)や尾久車両センターを経由する別の線路となっている。つまり、付近の東北本線の線路は、田端経由のものと尾久経由のものに分かれている。これらの線路は、ちょうど当駅付近で離れ始め、王子駅の手前付近で再び並ぶ。 ちなみに、ネットには「新日暮里ステーション」とかいうくだらないネタがあるが、当駅とは全く関係ない。下品なネタらしく、閲覧注意(参考リンク1参考リンク2)。 ※JR東日本は、2016年8月から駅番号の導入を始め、当駅山手線にはJY08、京浜東北線にはJK33の番号が付いた。また、日暮里・舎人ライナーには初めから「02」の駅番号があったが、2017年11月から路線記号「NT」が加えられた。 ※当駅が出来るよりも遥か昔、付近を走っていた京成電気軌道(現・京成電鉄)の日暮里~新三河島間の道灌山通りに面した部分には、「道灌山通駅」という駅があったという。しかし、両隣駅との距離があまりに近かったためか、客は少なかったという。戦中には不要不急駅として休止され、1947年には廃駅となった。 ※日暮里・舎人ライナーには西新井大師西駅、千代田線には新御茶ノ水駅、山手線には新大久保駅もある。

▼関連写真 

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当駅山手線・京浜東北線ホームと駅名標。京浜東北線の電光掲示板には、「只今、快速運転中」とある。田端~浜松町間の京浜東北線は、日中だけ全ての列車が快速運転になり、当駅には停まらない。この区間は山手線と並走するので、山手線が各駅停車代わりになる。【撮影日:2016/09/03】

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西日暮里駅を発車する山手線内回り。右が山手線ホーム、左が京浜東北線ホーム。撮影日の時点では、山手線のみにホームドアがあり、京浜東北線には無い。【撮影日:2016/09/03】

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当駅改札階と、千代田線乗換え口【撮影日:2016/09/03】

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JR・東京メトロ西日暮里駅の出入り口。高架下になってる。そもそもここにホームが無い新幹線や東北本線の高架も並ぶ【撮影日:2016/09/03】

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西日暮里駅前。飲み屋街のようだ【撮影日:2016/09/03】 ※追記: 昔はどうやら、この付近を貨物線が通っていた可能性があるらしい。昔は秋葉原駅にも貨物ホーム(秋葉原貨物駅)があり、田端駅付近から分岐して秋葉原駅まで伸びる貨物線があったという。その線路がかつて、この付近を通っていたと思われる。1961年時点の付近の配線図(当駅開業前)にも、尾久経由の線路の下をくぐってからこの写真付近の場所を通り、日暮里駅の常磐線ホームへと入る件の貨物線がさりげなく書かれている。付近の貨物線や秋葉原駅にあった貨物ホームなどは、1960年代の航空写真などにも写っている。更に古い1947年頃の航空写真には、秋葉原駅貨物ホームや隅田川駅(後述)が水運と連携するために掘られた水路も、埋められる前の状態で写っている。 ※付近には、東北本線(尾久経由じゃない方)・常磐線貨物支線・常磐線で構成されたデルタ線が形成されているが、これは元々常磐線の前身である日本鉄道土浦方面の線路が田端駅から分岐していた事によるもの。この田端を通る貨物線(常磐線貨物支線)は、その後も長い間貨物専用の隅田川駅(南千住駅の東の方に広がる巨大な貨物駅)発着の貨物列車が通る重要な線路となっている。つまり、田端駅は貨物上重要な役割を持っていた。但し、厳密には田端駅の持つ貨物駅機能は戦後の1961年に「田端操駅」として分離独立していて、2011年には「田端信号場駅」に改称されている(この時同時に、新小岩操駅も「新小岩信号場駅」に改称)。この田端信号場駅こそが、貨物駅としての田端駅の直接の末裔となっている。この田端信号場駅から北へはかつて、北王子線という別の貨物線も出ていた。 ※東京を発着する巨大な貨物駅として他に、東京貨物ターミナル駅というのもあるが、東京貨物ターミナル駅は東海道本線(東海道貨物線)などを経由する西方面、隅田川駅は東北本線などを経由する方面への貨物を発着させる駅となっている。 ※田端周辺には他にも、JR東日本東京支社のビルや、新幹線の車両基地もある。単なる山手線の分岐駅や貨物駅に留まらず、田端は今でも鉄道の重要な場所となっている。

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北東にやや離れた所にある、日暮里・舎人ライナーの西日暮里駅。JR駅と同じ駅名で、JR駅からここへの乗換案内もされる。しかし、駅舎は別にあるし、途中に屋根も通路も無く、街中を歩くので、事実上は別駅のよう。JR駅と駅舎が繋がった正規の乗換駅は、日暮里駅の方。【撮影日:2016/09/03】

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JR・東京メトロ駅との乗り換えのしやすさを考えてか、日暮里・舎人ライナーの駅南の交差点には写真のような広い歩道橋があった【撮影日:2016/09/03】

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日暮里・舎人ライナーの西日暮里駅ホーム。東京メトロ南北線やゆりかもめのように、完全防護型のホームドア。驚いたのは、日暮里・舎人ライナーの電車が接近する時に、駅舎やホームが結構揺れること。地震かと思った【撮影日:2016/09/03】

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当駅に停車する、日暮里・舎人ライナーの前面展望(北向き、見沼代親水公園方面)。ゆりかもめと同じで、自動運転を行う新交通システムなので、運転手が居なく、最前面に客が座れる。【撮影日:2016/09/03】

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すれ違い。日暮里・舎人ライナーの車両はこんな感じ。撮影は、赤土小学校前(あかどしょうがっこうまえ)~熊野前間。この後、西新井大師西駅を目指した。続きはこちらにて。【撮影日:2016/09/03】

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